話題の人

「高齢者音楽デイ」で活動

ソプラノ歌手・介護福祉士 下村裕子さん

 

 ソプラノ歌手下村裕子さん(65)=旧姓・島本、東京都東久留米市在住=は11月3日、かほく市の西田幾多郎記念哲学館で叔母に当たる内灘町出身の洋画家野村康子さん(享年84歳)をしのぶ追悼展覧会と追悼コンサートを企画、ゆかりの音楽家らと「千の風になって」などを合唱した。日頃は介護士の資格を持ち、都内のデイサービス施設「歌のつばさ」で音楽療法に携わり、高齢者の認知症予防・軽減に尽力している。

「たとえ認知症であっても音楽は感情や記憶に働きかけ、過去の楽しい記憶が蘇り、リラックス効果や脳の活性化に大きな役割を果たします。高齢者にとって安心感や生きがいに繋がり、音楽を通して住み慣れた地域で在宅生活が続けられるように努めています」と〝音楽デイ活動〟について語る。

内灘中学、県立金沢向陽高(昭和53年卒)から武蔵野音大声楽科・同大学院修士課程声楽専攻修了。同大福井直秋記念奨学生で、同大卒業演奏会、ノヴァンタ・ノーヴェイタリア声楽曲演奏会などに出演した。大学卒業後は新宿区立中学や私立中学の音楽教師を務め、男児2人の子育てを終えてから、様々な社会活動に参加する。

ふる里愛も強く、内灘町の町制50周年プレイベントの砂丘フェスティバルでは、町民愛唱歌の一部「町歌」を独唱している。スポーツドクターでテノール歌手、北山吉明氏はじめ金沢、内灘町などの歌手、音楽家と交流があり、今回の追悼コンサート実現にこぎつけた。

金沢市声楽コンクール金賞を受賞したソプラノ歌手だが、野村康子追悼コンサートで歌った「この道」に心情を吐露した格好だ。

加能人 令和7年12月号

輪島塗再興へ米国研修

(株)田谷漆器店 代表取締役 田谷 昂大 氏

 

昨年元日の能登半島地震で輪島市杉平町の工房が全壊し、朝市通り近くのギャラリーが焼失した輪島塗の老舗、㈱田谷漆器店の田谷昂大(たかひろ)社長(34)=金沢市在住=は若き漆器プロデューサーとして輪島塗業界の復興に励む。今年9月7日から7泊9日の日程で米国ロサンゼルスへ5人のチームで研修と市場調査に出かけ、「大変面白く、どういうデザインが世界のトレンドか分かった」と、成果の一端を語った。

田谷漆器店の田谷昭宏会長(62)の長男。金沢泉丘高から成城大経済学部に進学、同大卒後、24歳の時、帰郷して家業に就いた。「東京に行って輪島塗の良さが分かった」と吐露する。

輪島塗は124の製造工程に11の職種が分業しており、塗師屋はその総合プロデューサー。伝統を守りながら新しい感覚の経営が求められ、震災前に「㈱The Three Arrows」を設立し、輪島塗を体感できる飲食店・ギャラリーを金沢市木倉町にオープンした。

海外やネット販売も展開、被災後は公的助成やクラウドファンディングを活用、トレーラーハウスなど仮設工房2棟を立ち上げ、職人8人を維持した。大阪・関西万博でも展示販売し、何度も講演し輪島塗をアピールした。

今後の輪島塗業界の復興について「アート作品としての価値を高め、海外に売り込む。これまで県外に販売に出かけていたが、輪島に来てもらって輪島塗を買ってもらえるようにしたい」と抱負をきっぱり。珠洲出身の夫人と子供との3人暮らし。次世代に向けてのプロデュースも怠りない。

加能人 令和7年11月号

邦楽の普及活動、ジャズも

日本の音「翠の会」代表

箏・三絃演奏家 川田 昭美 さん

 金沢市出身の箏・三絃演奏家、川田昭美さん(67)=東京都町田市在住=は、神奈川総合高校などで邦楽の教鞭をとり、フルート、ピアノを加えた女性3人の「KOTOユニットBreeze(ブリーズ)」で、演奏活動を続け、日本の音「翠の会」代表として邦楽の普及活動に取り組んでいる。DTM(ディスクトップ・ミュージック)などコンピューターミュージックもこなし、箏演奏でも唯一ジャズ(即興演奏)を披露するユニークな音楽家だ。

金沢で幼少の頃から近所の箏演奏を聞いて育った。小学1年時からピアノを弾き、城南中生のとき、筝曲の演奏をナマで聞いて「こんな表現があるんだ」と邦楽に魅了される。獣医志望のリケジョ(理系女子)で、二水高ではコーラス部に所属したが、生田流の師匠につき、正派音楽院音楽科を卒業、東海大大学院音響芸術専攻、NHK邦楽技能者育成会30期首席で修了。国内外のコンサートで演奏しながら、20代後半からスタジオミュージシャンとしても活動した。

横浜国大付属中学音楽科研究大会の特別講師などを経て現在、玉川学園小学部や町田市第二中学の筝曲部で指導する。「翠の会」の活動は文科省の助成を受けており、学校教育における部活動の指導を教師から地域社会に移行させる流れの中で、学校、地域活動双方の現場で汗を流した実績が今後生かされそうだ。

ユニット「ブリーズ」で今年1月の石川県人会新年祝賀会はじめ9月の敬老の日に町田市などで演奏、「子供からお年寄りまで、日本の文化である音色を教え、伝えていきたい」と、意欲をみせる。伝統芸能が盛んな金沢で育った女性の本領発揮といったところだ。

加能人 令和7年10月号

休館対策でまちなか展示

金沢21世紀美術館館長  鷲田 めるろ 氏

 今年4月1日付で金沢21世紀美術館の館長に就任した鷲田(わしだ)めるろ氏(52)=東京芸大国際芸術創造研究科准教授、京都市出身=は石川県を代表する「21美」施設が27年5月から11カ月にわたり長期休館となるため「金沢のまちなかで収蔵品を出張展示し、にぎわい創出に貢献したい」と、周辺の公共施設や商店街との連携に意欲を燃やす。

今年10月に開館21周年を迎える同館は、施設全体が経年劣化し能登半島地震でガラス天井の一部が落下する事態も。年間約190万人が訪れ、約5億円の収入となる〝ドル箱〟施設とあ

って、経済、文化、芸術団体など様々な要望に応える必要がある。

「文化施設には、まちににぎわいと経済効果を生み出す役割があり、商店街の関係者とも話し合っていきたい」と、外に出ることに前向き。「あいちトリエンナーレ2019」のキュレーター時代に商店街を会場とした企画を担当したことも生かせそうだ。

東大大学院人文社会系研究科美術史学専門分野修士課程修了後、1999年に金沢市現代美術館建設事務局学芸員となり、初代の蓑豊はじめ秋元雄史、島敦彦、長谷川祐子の「歴代館長の下で仕事をした経験は大きい」。青森県の十和田市現代美術館館長を5年務め、7年ぶりに金沢に戻った格好。

「美術品の展示にとどまらず、演劇や音楽、ダンスなどパフォーミングアートにも力を入れたい」と、専門人材の採用も計画する。仏哲学者メルロ=ポンティの研究者だった父親が「めるろ」と名付けた。京都育ちで金沢に20年暮らした影響か、趣味はお茶。ソフトタッチながら芯の強い情念を秘めているようだ。

加能人 令和7年9月号

阪神、能登ダブル被災にめげず

薬膳料理研究家  槇 玲 さん

 

 膳料理研究家として活動する能登町出身の槇玲(まり)さん(51)=本名・奥村真理、旧姓山下、神戸市垂水区=は1995年1月の阪神淡路大震災に続き、昨年元日、帰省中に能登半島地震に遭う。このため被災者の気持ちに寄り添い、主宰する料理教室で能登の食材を用い、昨夏,能登町に義援金200万円を届けるなど、能登復興に思いを寄せながら食育指導に取り組んでいる。

幼少期は両親が共働き、能登町の山間地、不動寺で育つ。「専業農家の祖父母と一緒に野菜、果物と戯れたことが、薬膳料理を研究するルーツかも」と打ち明ける。

旧・宇出津高(能登高)を1992年に卒業、兵庫県に出て児童養護施設の栄養士として6年間勤務、激務から原因不明の体調不良になり、退職後、長男を出産し専業主婦になったのを機に薬膳料理を学んだ。「長年悩んだ体調不良とアレルギーを食の力で克服した」と明かす。

2005年に薬膳料理教室「暖彩」を立ち上げ、08年に最初の著書『ナチュラル薬膳〜スーパーでそろう食材だけでつくる がんばらないわたしの薬膳レシピ』を出版。11年に鍼灸師の夫とともに「食とはりきゅうの暖彩」を運営開始、13年に管理栄養士の資格を取り、18年に「代謝スムーズ 食べ合わせ薬膳レシピスクール」を開設、同年㈱Yakuzen Soryを設立した。

制作した薬膳レシピは2千本を超え、関西中心にマスメディアに多数出演、講演依頼も多い。薬膳料理教室は受講生が累計1万人以上の人気だったが、昨年末から休み、オンラインで「幸せな人生を送るための食事の大切さ」を発信している。

加能人令和7年8月号

被災研修生の育成に尽力

重要無形文化財「髹漆」保持者 

石川県立輪島漆芸技術研修所長

小森 邦衞氏

 重要無形文化財「髹漆(きゅうしつ)」保持者で県立輪島漆芸技術研修所(輪島市)の小森邦衞所長(80)=本名・邦博、同市山岸町=は、令和6年能登半島地震や豪雨災害で被災した研修生の指導育成に汗をかく。一方、輪島塗技術保存会の会長時代に5年がかりで制作した大型地球儀「夜の地球」を今年4月に開幕した大阪・関西万博の会場に専門の館を設けて展示することに尽力した。

 輪島漆芸技術研修所は、重要無形文化財保持者の技術伝承者を養成する機関で文化庁の予算も入っており、輪島塗だけにとどまらない。現在、研修生34人のうち県内出身者は4人で、9割は石川県外から来ている。このため、被災研修生の避難所確保や卒業制作の教室や展覧場を設けるため金沢美大やその他の機関に交渉し、昨年10月、9カ月ぶりに授業を再開、金沢のしいのき迎賓館で14人の卒業生を送り出した時は「感無量だった」という。

 自身も同研修所の出身者で、輪島の中学を出て家具職人を経て同研修所に入った。「松田権六さんら人間国宝に直接指導を受けた。インスピレーションを受けたものをいかに表現したらいいか、図案日誌を書く指導を受けたことが役立っている」と明かす。俳句をたしなみ、「作品づくりに季語をどうやって表現するかに通じるものがある」とも。

 2020年に同研修所長と県輪島漆芸美術館館長に就任。輪島塗の大型地球儀は日本万博協会の十倉雅和会長から「すごい技術に心を打たれた」として展示を請われて実現したが、「復興の核になるのは世界に通じる輪島塗、それをつくる作家たち」と、人材育成を肝に銘じて止まない。

加能人 令和7年7月号

「唯一無二」の大横綱目指す

第75代横綱 大の里

 

日本相撲協会提供

「横綱の地位を汚さぬよう稽古に精進し、唯一無二の横綱を目指します」。大の里(25、本名中村泰輝、津幡町出身)は、日本相撲協会の横綱審議会で「品格力量抜群」と満場一致で推挙され、5月28日、茨城県阿見町の二所ノ関部屋で昇進伝達式に臨み、堂々と口上を述べた。

身長192センチ、体重191キロと幕内力士で最も体格に恵まれ、柔らかい身体が土俵際を踏み留まらせる。津幡町少年相撲教室を皮切りに、親元を離れ、新潟県糸魚川市の能生中学に相撲留学、同市の海洋高から日体大に進学、1年生で学生横綱になった各界のエリート。

「夏場所の後半に迷いが生じ、綱の重みを意識して眠れなかった」と告白するが、四股を踏み、すり足など基礎をしっかりやるうちに重圧を解消したよう。二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)という師匠にも恵まれ、明治神宮での奉納土俵入りは親方と同じ雲竜型を披露した。さまざまな晴れ舞台の片隅で父親の中村知幸さん、母親の朋子さん、妹の葵さんが感激の涙を浮かべながら雄姿を見守っており、家族愛にも支えられている。

石川からの横綱誕生は、第54代の輪島(七尾市出身)以来、52年ぶり。その輪島の所要21場所を大きく更新し、13場所のスピード昇進を果たした。「(輪島さんには)まだまだかなわない。超えられるように頑張りたい」。輪島の優勝14回超えが当面の目標になる。

6月29日に津幡町で大関の時同様に祝賀パレードが予定されており、石川県民栄誉賞や津幡町民栄誉賞の贈呈が検討されている。全国にファンが多く、「各界の大谷翔平」とまで呼ばれる。〝黄金の力士〟は、応援によって磨かれていくのだろう。

加能人 令和7年6月号

「加賀縫(ぬい)」を伝承、装飾品に

刺しゅう作家 横山幸希 さん

 金銀の絹糸を織り交ぜて花鳥風月の模様をつくる国指定伝統的工芸品「加賀繡」。刺しゅう作家、横山幸希(ゆき)さん(25)は、加賀繡の伝統工芸士である母・佐知子さん(56)が営む「加賀繡IMAI」(金沢市三口新町)で、100年続く加賀繍の伝統的技術を継承するとともに「身近なジュエリー(装飾品)としてもっと美術的価値を高めていきたい」と刺しゅう作家活動に意欲を燃やす。

「小さい頃から曾祖母(今井福枝)や母親と一緒に加賀繡に親しんできましたが、作家になるとは思ってなく、大学進学の折は経営面から加賀繡を支えたい」と考え、中央大商学部へ。就職先を探す時期になって「やっぱり自分で作りたい」と心境が変化し、東京の杉野服飾大大学院に進み、ジュエリーを学んだ。

今年4月まで東京の繊維商社に勤めていたが、本格的に作家活動に入るため金沢に帰り、加賀繡を制作。2024年4月、東京都美術館で開かれた第62回日本現代工芸美術展・一般の部に初出品、現代工芸賞を受賞した。

受賞作「五候」は、日本の72ある日本の季節感5つを表現、四角や三角の立体の中に加賀繡の技法を用いて濃淡の異なる赤色で抽象的な模様を描いた。「具象的な模様でなくても加賀繡が美しくみせられる」ことが自信になったよう。

父親はスポーツ好きの整形外科医。幸希さんは中学生から陸上競技を始め、金沢高時代に円盤投げで国体出場経験を持つ異色のアーティスト。自らの名を付けたアクセサリーブランド「YOYUKI」も展開しており、伝統工芸の世界に新風を吹き込む格好だ。

加能人 令和7年5月号

「音楽は心のレストラン」

芸術選奨文部大臣賞受賞

OEKアーティスティック・リーダー

広上淳一 氏

 

 オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のアーティスティック・リーダーである広上淳一氏(66)は今年3月3日、文化庁が発表した2024年度芸術選奨の文部大臣賞を受賞した。能登半島地震により昨年2月から金沢市内の2次避難所を皮切りに能登の避難所や病院、小学校、道の駅などにOEKでは80回超、自らも10数回足を運び、鍵盤ハーモニカを吹く出前演奏を繰り広げたことなどが評価された。

 1983年に東京音大を卒後、84年アムステルダムで開催されたキリル・コンドラシン指揮者コンクールで優勝、ノールショピング交響楽団(スウェーデン)、コロンバス交響楽団(アメリカ)、京都市交響楽団等での音楽監督職を歴任、マエストロと呼ばれる国内外で評価の高い名指揮者。今年元日に輪島市で営まれた犠牲者追悼式では献奏のタクトを振ったが、出前演奏ではクラシック音楽の堅苦しさは感じさせず、親しみやすいパフォーマンスで被災者の心に寄り添う。

 「2年半前(2022年9月)に金沢に来たときに考えていた5年計画は震災と豪雨でそれどころではなくなった。被災者にクラシック音楽を聴いてもらう余裕はなく、こちらから出かけるのが最良だと判断した」と語る。「音楽は心のレストラン。少しでも人々の心が癒やされれば」と、ガルガンチュア音楽祭などのほか、団員を身近に知ってもらうため金沢市内の居酒屋などでも演奏し、ファン層拡大に汗をかく。

 東京生まれだが、祖父母、両親とも富山市出身で、「北陸には馴染みがあり、金沢は人生最終章の場所」ときっぱり。「謙虚、向学」を座右の銘に、力強くタクトを振る。

加能人 令和7年4月号

笛の魅力普及、指導に30年

横笛奏者・「一声会」主宰  藤舎 眞衣 さん

 

笛奏者の藤舎眞衣(とうしゃまい)さんは、今年2月24日に金沢市の北國新聞赤羽ホールで、主宰する「横笛一声会」の30周年記念演奏会を開催。「ジェットコースターのような30年はあっという間でしたが、演奏会を門弟と共に開催出来ました事は感無量であり、さまざまな感情が沸き上がってきました。これまで支えて下さった皆様に感謝し、今後も一人でも多くの方に笛の魅力を伝えていきたい」と、秘めた決意を静かに語る

眞衣さんは、中学生から能楽の鼓、大学生から三味線など幅広い芸事を習うなか、25歳より笛を東京の中川善雄氏(笛奏者)に師事する。遅い出発であったため「継続は力なり」「不易流行」を目標とし、20代は稽古に打ち込む。師事して1年後にニューヨークのカーネギーホールで開かれた「日本の祭典」に出演し、『獅子』という合奏曲を先輩方と演奏するチャンスに恵まれた。

「合奏は、とても楽しい」と大舞台を終えた経験から感じ、自らも笛の合奏曲を作曲するようになる。愛知万博金沢市の日などに出演したほか、イタリア、台湾、シンガポールなど海外演奏会も数多い。

「学校の体育館などさまざまな場所で演奏しますが、笛に限らず伝統芸能は、古典の基礎を大切にしながらさらに幅広い層に受け入れられる努力は欠かせないと思い、いろいろなジャンルの曲を演奏しております」。平成16年金沢市文化活動賞、同18年北國芸能賞(現・芸術賞)、同28年第1回石川県文化奨励賞受賞。

現在、北國新聞文化センターや金沢素囃子子ども塾の講師を務め、後進の指導に励む。「笛は、音色に吹き手の個性が現れる」という眞衣さんの音色は澄んで芯が強い。

加能人 令和7年3月号

ボサノバ、サンバの真髄伝える

ブラジル音楽家・能美市観光大使 加々美 淳 氏

 

 1981年からブラジルでギター、ボサノバ、サンバの演奏活動を続け、帰国後、坂本龍一、小室哲哉らのレコーディングに招かれ、「メルシャンワイン」「リプトンティー」など数多くのCM音楽を制作した加々美淳(67)=東京都世田谷区=はブラジル音楽の国内第一人者である。

昭和32年4月、現・能美市(旧寺井町粟生)の生まれ。父親は開業医で、長男だったことから、医者を目指して金大附属中学、高校(27回生)へと進学したが、70年代に活躍し「冬が来る前に」などをヒットさせたフォークグループ「赤い鳥」「紙風船」の後藤悦治郎に私淑、直接触れ合い、音楽活動にのめりこむ。

米バークリー音楽大、ロンドン王立音楽大に留学の後、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロを中心に現地の大学に籍をおきながら、主にギターで演奏、アントニオ・カルロス・ジョビンら著名音楽家と交流した。

音楽家への道、海外での活動を推奨したのが、特撮テレビドラマ「ウルトラマン」などを手掛けた脚本家佐々木守(1936〜2006年2月)だった。佐々木守と加々美の母が〝はとこ〟にあたり、「幼少の頃からよく、実家に出入りしていて、米国留学も彼が勧めてくれた」と述懐する。

2019年から、駐日ブラジル大使館の依頼でソロコンサートを開始、郷里ではFM石川で番組を持ったこともあり、能美市観光大使として昨年9月、同市で同郷の俳優・吉野悠我らとイベントに出演、ブラジル音楽が郷愁を誘った。4月20日には白山市の聖興寺本堂で「ファド」ギター奏者・高柳卓也と演奏会を開く。熱狂的なブラジル音楽とは異質の雪国が育む音楽空間。橋渡しする伝道師のようだ。 (文中敬称略)

加能人 令和7年2月号

九谷色絵で日本の風土表現

日本芸術院賞受賞・陶芸家  山岸 大成 氏

 

 日展特別会員で石川県美術文化協会副理事長の陶芸家、山岸大成氏(68)=能美市寺井町=は令和5年度・第80回日本芸術院賞を受賞し、「長年にわたりテーマにしてきた日本の風土と人々の心の奥底に流れる精神性に思いを巡らす作品づくり」に傾注している。ふるさと石川が未曽有の地震や豪雨被害に見舞われただけに一層、その深い精神性を表現する創作意欲にかられているようだ。

今号表紙絵の「神々の座 綿津見(わたつみ)」は海の神様に対する怖れ、あがめ、祈る場所を波の形にした」と説き、同じく「松韻」は新年の祈りの場、路傍の石にも神様が宿るとする日本人の精神性を表現したという。

九谷焼の産地である現・能美市で明治初年より続く工芸一家に生まれた。父の山岸政明氏と長男の青矢氏は陶芸家。妻の乃布枝さんはつづれ織り、長女の紗綾さんは漆芸家であり、父を除き4人は金沢美大卒業生。2023年春に都内の平成記念美術館ギャラリーで「山岸家5人展」を開催したこともあり、東京でデザイナーの二男・舜氏を含め現代では希少な芸術ファミリーだ。

大成氏は大聖寺高から1978年金沢美大産業工芸デザイン学科卒業、同年日展に初入選、2007年に日展評議員、12年に現代工芸美術家協会理事、現代美術展運営委員長、19年に日展特別会員。地元・九谷焼産地の復興に汗をかき、古九谷発祥地論争にも一過言を持つ。

「坦々蕩々(たんたんとうとう)」を座右の銘に情熱を内に秘めながらも「苦しい時も悲しい時も泰然自若、ゆったりとした人間でありたい」と心がける。その精神性が作品に現れているようで、さらなる深化が期待される。

令和7年新年号

 

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