話題の人

三味線一人語り、コラボも

地歌箏曲家

竹澤 悦子 さん

 

 上方の古典的な地歌筝曲家を名乗りながら交響楽団との共演や自ら結成した箏カルテットで米カーネギーホールに出演したこともある邦楽レジェンドである。七尾市出身の竹澤悦子さん(61)=沢井箏曲院教授、都内在住=は、能登半島地震で同市池崎の実家が被災する中、今年4月、中能登中学や穴水中学の両校で支援コンサートに出演するなど精力的に活動している。

実家は繊維業を営み、音楽的な家庭環境で育ったわけではなかったが、「9歳上の兄がギターを弾いていた影響からとにかく音楽が好き」で、8歳から生田流筝曲を習う。朝日中学(現・七尾中学)では吹奏楽部でテナーサックスを吹き、七尾高に進学し、音楽家を目指すが、「ピアノが苦手で、当時東京芸大音楽学部邦楽科が唯一、ピアノの実技がなくて志望校にし、沢井筝曲院の沢井忠夫、一恵両師に師事し内弟子になった。2浪はしましたけど」と打ち明ける。

1987年に東京芸大卒後、沢井忠夫合奏団CD「箏」で文化庁芸術作品賞を受賞、同年、沢井琴アンサンブルで欧米、アジア各国で公演、93年に「KOTO VORTEX」を結成。2010年、市川交響楽団定期公演で弾き歌いによる新作箏協奏曲のソリストを務め、様々な分野で合奏した。

2020年から三味線一人語り「浪曲地歌」を開始、今年7月に「相撲もの『初代・高砂浦五郎』の生涯=写真=を熱演した。金沢市の生田流箏曲家・麻井紅仁子さんらが企画する「和楽器組曲・百人で奏でる百万石メモリーズ」のプロジェクトにも参加しており、「若い人にも邦楽の魅力を伝えたい」と、能登女性の骨太な気概をみせる。

加能人 令和6年11月号

一般財団法人平成紫川会 小倉記念病院理事長・病院長

腰地 孝昭 氏

 

 循環器系疾患に強い西日本有数の一般財団法人平成紫川会・小倉記念病院(福岡県北九州市)の理事長・病院長の腰地孝昭氏(68)は、虚心性心疾患や心臓弁膜症、大動脈外科手術を専門とする心臓外科医である。現在は治療現場から離れ650床、職員約1千500人の大病院のトップとして高度先進医療を推進する人材育成に力を入れている。

七尾市中島町出身。実家は能登演劇堂近くにあり、例年9月に開催される「お熊甲祭」は少年の頃から見物に出かけたという。七尾高理数科(25回)から1984年に京大医学部卒、97年に同大心臓血管外科助手、99年に仏マルセイユの大学に留学、2000年に熊本中央病院心臓血管外科部長、09年に福井大外科学2教授になり、16年から5年間、同大医学部附属病院長を歴任、23年から現職。

小倉記念病院は100年余の歴史があり、特に循環器疾患に特化した病院として知られ、患者は九州に限らず、中国、四国地方からも訪れる。心臓血管外科修練指導者としてチームワークを重視した手術を実施することで知られ、福井大附属病院などでの実績から抜擢された。

全国的に医療現場は医師、看護師など人材不足で小倉記念病院も例外ではない。「医療DX推進室を設け、手術支援ロボットを積極的に導入して対応している」と語る。

夫人らは大阪府吹田市にいて目下、単身赴任生活。中学、高校は野球、サッカーに興じたスポーツマンで、今もゴルフを楽しむ。座右の銘は作家・小田実の著書名でもある「何でも見てやろう」。趣味の囲碁で言われる大局観を持ちながら好奇心旺盛なところが真骨頂だろうか。

加能人 令和6年10月号

金沢で求愛され22年

歌手・石川県観光大使

島津 悦子 さん

 

 石川県観光大使の演歌歌手、島津悦子さん(62)=キングレコード=は、元日の能登半島地震を金沢市内の自宅で体感、1月と3月に1・5次避難所へ金沢の農業女子たち「農魔女」と炊き出しに出かけたほか、6月に志賀町と能登町で単独の応援コンサートを開き、珠洲市三崎中では伍代夏子さんらと一緒に「美魔女たちのOH!艶歌」に出演するなどボランティア活動に励んでいる。

鹿児島県出身、地元の高校を卒業後、珠算と簿記とも1級の資格を持ちながら歌への夢を追い、静岡市の観光バス会社に就職。2年半のバスガイド経験を生かし、自費でレコードを出しプロの歌手を目指した。毎日30台ほど観光バスに乗り込んでセールスする中、現在の夫で北川物産グループ(金沢市)の北川博代表(76)と劇的な出会いがあった。

「私が24歳のとき、金沢の会社の社員旅行で静岡に来ていたバスに飛び込んだ折、乗車約70人全員に1枚ずつ買っていただいた際の責任者が今の夫でした」と吐露。2作目の『恋路浜』を歌って能登に縁を持ち、3作目『紙の舟』で日本有線大賞音楽賞に輝き、石川の放送局に出演する機会に金沢で再会する。

実際に結婚したのが40歳のとき、2002年、北川社長(当時)が脳内出血で入院、見舞いの病床で求婚されるが、それまでと同様、「結婚=引退」から断ると、「だれが歌手をやめろと言った。オレは大丈夫だ。夢を追いかけろ」と言われ、大号泣のすえゴールインした。

夫のリハビリを助けながら歌手生活を続け、これまでリリースした曲は今年1月発売の「」を含め60曲超。MROラジオ「島津悦子の歌謡ナビゲーション」などレギュラー番組2本。結婚生活22年、純愛ドラマのような体験と多くの出会いがメジャーな歌手に育てたようだ。

加能人 令和6年9月号

「大原学園」成功の秘訣

学校法人大原学園 学園長

公認会計士

中川 和久 氏

 

 各種専門学校と社会人や大学生向けの資格講座等を中心に全国に120校展開する大原学園グループの学園長である羽咋市出身の中川和久氏(67)は、理事長時代に「教職員と共に目標達成」を学園の指針に掲げ、合格・就職実績の向上実現を達成してきた。さる7月21日、羽咋市内で開かれた母校・羽咋高同窓会の総会に招かれた際には、その成功の秘訣と共に「地域№1の進学校を目指そう」と熱弁を振るった。

「学生に目的・目標を決めさせ、やる気にさせる。小さな成功体験を積み重ね自信をつけさせる。いかに学生の心に灯をつけさせるかが大事だ」。自身も29歳で公認会計士になってからも教壇に立ち続けた教育者であり、その誇りや夢を現在は教職員1千619人が受け継ぎ大原学園は今も成長を続けている。

羽咋高(27回生)時代に法律家を目指し、中央大学法学部に進学。「そば屋のアルバイトで配達先の会社を回っているうち入り口に入っただけで会社の経営状態が分かった。それがきっかけで金に興味を持ち目標を公認会計士に切り替えた」とユーモアを交えて自伝を語る。

大原学園は金沢にも拠点があり、大原簿記法律観光専門学校、大原医療・スポーツ専門学校、金沢ウエディング・ビューティー専門学校、金沢情報ITクリエイター専門学校を設置し、地元で活躍する若者の育成に力を注ぐ。都内では社会人のリスキリングのニーズに応えるべく、来春の通信制大学設置を目指している。

「人は自分の思った通りになる」を座右の銘に、多くの若者の成功のため、教職員と共に進み続ける。教育者としての信念はこれからも変わらない。

加能人 令和6年8月号

「学校寄席」能登開催に意欲

寄席三味線奏者

豊田 公美子 さん

 

 「ふるさとの子ども達に生の演芸文化に触れてもらいたい」。上方落語界で寄席三味線奏者として活躍する輪島市出身の豊田公美子さん(50、旧姓畑中)=大阪府吹田市在住=は、コロナ禍や能登半島地震で開催が難しくなった小中高校などでの「学校寄席」開催に意欲を燃やしている。

寄席三味線奏者は、落語家が舞台へ上がる際に下座で太鼓、笛などと一緒に〝出囃子〟を奏でる。スポーツ界では野球選手などが自分のテーマソングで登場しているが、落語家もキャリアを積むと自分の出囃子を持つ。

出囃子だけではなく上方落語では物語の情景描写や主人公の心理描写に囃子を入れており、「噺の内容などよくわかっていないと弾けない、様々な邦楽の知識も求められる」と、伝統芸能の難しさを語る。

1992(平成4)年に輪島高卒、関西大に進学し、寄席独特の寄席文字に興味を持ち落語研究会に入り、そこで寄席三味線を知ったという。卒業後、テレビ番組制作に携わるが結婚を機に退職、その時の縁で落語芸能事務所で働くことになり、再び寄席三味線に触れ、03年に寄席三味線の大川貴子師匠の門を叩いた。

コロナ禍前に輪島市で落語会を開き、昨年10月、金沢市の西検番事務所での落語会「上方ばなし 芝居噺篇」を企画したこともあるが、「学校寄席」は実現していない。

能登震災により輪島市内の実家が全壊した。仮設住宅暮らしの両親を心配しながら4月19日、「のと鉄道応援チャリティー落語会」(大阪・天満天神繁昌亭)や6月6日、「桂まん我ひとり会」(金沢21世紀美術館)に出演しており、「ふるさとに笑顔が広がってほしい」と前を向く。

加能人 令和6年7月号

緊急輸送指揮し能登入り

公益社団法人全日本トラック協会会長

坂本 克己 氏

 

 公益社団法人全日本トラック協会(全ト協)の坂本克己会長(85)=大阪市石川県人会長=は元日の能登半島地震を受け、全国の運輸業約6万3千社が加盟する全ト協(東京)に対策本部を設置し、「トラック輸送は、生活と経済を支えるライフライン、国や地方自治体と連携し、迅速に緊急・救援輸送に懸命に当たってほしい」と、石川県トラック協会をはじめ全国の協会を通じて国のプッシュ型緊急物資輸送を始めるよう檄を飛ばした。

坂本会長は、日本タクシー、大阪運輸倉庫、北港観光バス3社で構成する日タクホールディングス(HD、大阪市)の代表取締役会長であり、社長時代に阪神大震災を経験、熊本大震災発生の時は、二階俊博自民党総務会長(当時)から直接、携帯電話に緊急支援物資輸送の応援要請を受けたことがあった。

父親の出身地である小松市に戦時疎開した経験があり、ふるさと石川の非常時に間髪入れず立ち上がった格好。1月17日に斉藤鉄夫国土交通相らと馳浩石川県知事を訪問し物資の拠点だった県産業展示館から片道5時間半かけて被災地の穴水町の活動状況を視察した。

全ト協会長としてトラック運転手の時間外労働規制など「物流の2024年問題」への対応を迫られる中、持ち前の政治力を発揮、関連法案の成立により4月1日に施行された。「トラックGメンによる荷主対策強化、標準的な運賃の引き上げ」などが打ち出されたが、「銭形平次の十手でんな。8月から我々業界内で荷主に対し調査権を持てるようになる」と、戦記物の愛読者らしい例え。6月から8年目、迅速果敢をモットーに気構えは戦国武将のよう。

加能人 令和6年6月号

断らない・諦めない医療実践

日本医科大学消化器外科主任教授・同大付属病院副院長

吉田 寛 氏

 

 私立医大トップクラスの日本医科大消化器外科主任教授で同大付属病院の吉田寛副院長(63)=金沢市出身、東京都世田谷区=は、コロナ禍などにおいて患者のたらいまわしが社会問題になる中、「日本で一番多くの重症患者を受け入れ、院内感染は非常に少なかった」と胸を張る。〝断らない・諦めない医療〟の実践を掲げ、若手医師の指導育成に奮闘している。

母親が珠洲市宝立町出身で、元日の能登半島地震時には本人、母親とも都内にいて無事だったが、母方の実家が倒壊する被害に遭った。能登の縁からか、相撲が強かった父親の影響もあって少年の頃から相撲好き。金大附属の幼稚園から小・中・高校(30回卒)を経て1986年に日本医科大、92年に同大学院修了、外科医になってからも相撲に励んだ。

185センチの長身。「学生時代はガリガリに痩せていて相撲は強くなかったが、医者になって体格が良くなって強くなった」と言い、30歳のとき、茨城県の病院に派遣され、同県相撲大会で上位入賞し国体に出場している。現在、日本医科大相撲部の部長、東日本学生相撲連盟理事。

2016年から2年間、日本医大多摩永山病院の院長を経て18年から現職。外科医としては、肝胆脾門脈外科、肝移植、ⅠⅤR、超音波を中心とする画像診断学が専門。日本門脈圧亢進症学会理事長、日本外科系連合学会理事長、脾臓研究会代表世話人など公職多数。

「トラブルが起きた時、動揺しない対応」は様々な人生経験から会得したよう。いしかわ観光特使も引き受けており、郷土愛は強い。震災復興へ「為せば成る」とエールを送る。

加能人 令和6年5月号

能登震災でチャリティー演奏

パーカッション奏者・能美市観光大使

中山 理恵 さん

 

能美市観光大使を務める気鋭のパーカッション奏者、中山理恵さん(45)=東京都町田市在住=は能登半島地震発生から約1カ月後の2月3、4日、町田市小山ヶ丘の「ギャラリーカフェアルル。」で開かれた女性だけ6組9人が出演した緊急支援コンサートに参加。延べ約100人の聴衆から約30万円超の義援金が寄せられ、「ふるさと石川のお役に立てて良かった」と、演奏の充実感に浸った。

この会場は、金沢市出身で小学生の時に七尾市で暮らした杉浦美代子さんが運営しており、東日本大震災から毎年5月にチャリティーコンサートを開催。中山理恵さんはマリンバ奏者の三浦咲さんとコンビを組む「クラッケロ」として今年5月18、19日のアルルでの同コンサートにも出演する。

能美市出身で9歳よりピアノを始め、辰口中学の吹奏楽部に指導に来ていた打楽器奏者の講師にあこがれ、プロを目指して、音楽コースのあった小松市立高に進学、東京芸大音楽部器楽科打楽器専攻を卒業した。

在学中よりプロオーケストラ、打楽器アンサンブルや劇団四季、東宝ミュージカルなどに参加、ホテルなどでの打楽器ソロパフォーマンスも行い、パワフルで繊細な表現力には定評がある。

2018年5月に能美市観光大使に委嘱され、年1回、同大使・特使が集うイベントに参加している。プロの打楽器奏者になることに両親が反対したと苦笑いするが、「(両親が暮らす)能美市での演奏は特別な感じがして楽しみにしています。育ててくれたふるさとに少しでも恩返しをしたい」と、目を輝かす。

加能人 令和6年4月号

時代の潮目読み〝送りバント〟

アパグループ社長兼CEO

元谷一志 氏

 

 2022年4月に、国内最大規模のホテルチェーンやマンション事業などを展開するアパグループ(東京)の社長(52)は最高経営責任者(CEO)を兼務し、父親でカリスマ創業者の元谷外志雄会長(80)からバトンを受けた。「有事にあっては社会の要請に応えていく」との教えから、能登半島地震被災者の二次避難先の受け入れを馳浩知事から要請され、1ヵ月半の期間で北陸を中心に延べ4万5千室を提供することを受諾した。

コロナ禍の折、元谷会長が当時の政府関係者からの感染患者の受け入れ要請に対して即座に1万室の提供を表明したのと同様の決断であり、「平時はホテル、有事はホスピタルというハイブリッドな経営が今後求められている」との経営観を示す。小松市出身の元谷会長と福井県出身で母親の芙美子アパホテル社長の間に生まれた2人兄弟の長男。2代目として「学生時代から帝王学を学ばせられた」と明かす。

小松市で中学2年まで過ごし、中学3年時に金沢市に引っ越し、二水高から都心にある大学へとの父親の勧めで学習院大経済学部に進学、1995年3月に卒業後、「跡を継ぐ踏み絵」をした上で、住友銀行に約5年勤務し99年11月にアパホテルに常務として入社、専務などを経て2012年5月にアパグループ株式会社代表取締役社長。

「徳川家でも初代と3代目は知られていても2代目は知らない。でも2代目がちゃんとやっていたから3代目に続く。だから私は送りバントの人生、時代の潮目をとらえ、柔軟に経営して3代目にバトンを渡す」と自らの役割を明確に認識する。7年連続で100㌔ウオークを達成した健脚の持ち主。コロナ禍以降も業績を上げており、経営のペース配分もしっかり頭にあるに違いない。

加能人 令和6年3月号

「カレーパンマン」の声36年

声優・ナレーター、能美市観光大使

柳沢 三千代 さん

 

 能美市観光大使で声優、ナレーターの柳沢三千代さん=東京都世田谷区=は絵本「あんぱんまん」(やなせたかし作)を原作とした国民的人気のテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」に登場する正義の味方役「カレーパンマン」の声優を務める。日本テレビ系で1988年10月に放送開始以来、36年に及ぶロングランをこなす。

大阪府箕面市出身で、小学生の頃NHKテレビ「新日本紀行」を毎週見ることを勧め、生徒の感想文に寄り添って指導した教師にあこがれ、「少女の頃は小学校の先生になりたかった」という。高校時代はハンドボール部に所属し、〝演劇少女〟ではなかったが、タレントを数多く輩出する日本大学芸術学部演劇学科に進学。

在学中に劇作家・演出家の如月小春(故人)主宰の劇団「NOISE」に参加、「如月座長から〝三千代は声だよ〟と、声優の道へ背中を押していただいた」と述懐する。日大卒業後、青二プロダクションに所属。「カ

レーパンマン」の声優の他、現在ロードショーのアニメ『機動戦士ガンダムSEED』のエリカシモンズ役など、活躍の場を広げている。「体全体を使うより声だけで表現する方が難しい」と、声優としてさまざまに鍛錬を重ねる。

能美市観光大使は、能美市出身の俳優・語り部で夫の吉野悠我さんに準じて一昨年委嘱された。「ドリームコンサート」など同市のイベントに揃って出演し、公式キャラクター「ひぽ能ん」「ゆず美ん」の声役にもなって一役買う。

関西出身の有志による朗読劇ユニット「はんなりラヂオ」の代表も務める。長年にわたり培った声の力を生かし「能登半島地震の支援のために何かできる事はないか」と第二の故郷へ想いを募らせている。

加能人 令和6年2月号

加賀藩の良き伝統継承

前田家第19代当主

㈱イノダコーヒ社長

前田 利宜 氏

 

 前田家18代当主の前田利祐氏(87)の長男である前田氏(60)は昨年11月3日、金沢市の尾山神社と金谷神社で営まれた家督継承の奉告祭に家族揃って参列。「旧藩主がいる地域でこれほど文化芸術を皆様で盛り上げているところは全国にない。父の今までの思いに負けずお役に立てられますよう尽力したい」と19代襲名の決意を披瀝した。

利宜氏は、京都市に本社を置き、東京など全国に9店舗展開する老舗喫茶チェーン「イノダコーヒ」の代表取締役社長。「お客にゆっくり過ごしていただく独自経営」が売り、フルサービスのため従業員は200人を超すが、人手不足の折「スタッフ補充が大変」と打ち明ける。

1987年、上智大外国学部ポルトガル語学科を卒業後、三菱商事に入社、コーヒーを含む食品全般の責任者としてブラジルやサウジアラビアなど海外勤務をこなした。「帰国後、イノダコーヒの猪田浩史社長(当時)と気が合い、仙台時代に誘われて」2020年7月にイノダコーヒの社長に就いた。

三菱商事入社同期の晶子夫人ら家族は東京・駒場住まい。京都へは単身赴任中、多忙なため「月1、2回帰宅する程度」とか。前田家の金看板である「文化芸術」には理解があるが、上智大では体育会系のヨット部に所属したスポーツ系。ゴルフ、ドライブ、写真撮影が趣味。

現在、公益財団法人前田育徳会や成巽閣の評議員などの役職にあり、今後、利祐氏が抱える石川県人会など多数の公職をいかに委譲していくかが課題。「人生一代、名は末代」を座右の銘に、ヨット同様しっかり舵を握り、加賀藩時代からの良き伝統を継承していくことだろう。

加能人 令和6年新年号

 

北陸3県の会議所と連携

金沢商工会議所会頭

安宅 建樹 氏

 

 金沢商工会議所の安宅建樹会頭(73)=北國銀行相談役=は来年3月の北陸新幹線敦賀延伸に向け、「福井、富山とも20分で行けるようになる。3県の会議所が連携し、広域観光はじめ共同の商談会開催にも取り組みたい」と、年内に敦賀駅視察の折、福井の八木誠一郎、富山の庵栄伸両会頭と会談し、具体的な連携強化策を打ち出す意向を示す。

 北國銀行頭取を14年務め、経済情勢や地元企業に精通しているのが強み。会頭3期目の11月21日、金沢市内のホテルで開かれた同会議所会員大会で「物価高など会員を取り巻く環境は引き続き厳しい。取引の適正化と人材確保、育成の支援に取り組みたい」と、中小企業・小規模事業者の経営計画策定や販路開拓の後押しなどきめ細かい〝伴走支援〟の充実を図ることを表明した。

 豪商銭屋五兵衛や安宅産業創業者の安宅弥吉ら歴史に名を刻む経済人を輩出した金沢市金石地区の出身。泉丘高(21期)から1973年に金大法文学部を卒業後、北國銀行に入行。外国部ニューヨーク駐在員事務所の初代所長、企画部長、常務、専務などを経て頭取に。〝ゼロ金利政策〟など金融機関冬の時代をコンサルティング営業の強化、デジタル化支援などに取り組んだ。

 2016年11月に金沢会議所会頭に就任後もコロナ禍など厳しい経済環境が続く中、持ち前の機智と胆力で乗り切る。趣味の読書では村上春樹らの小説を愛読、最近は「サスペンスものが多い」と相好を崩す。金大学友会会長、片山津ゴルフ倶楽部理事長など公職多数。座右の銘は良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく「縁尋機妙」。人の出会いを大切にするのが真骨頂のよう。

加能人 令和5年12月号

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