話題の人

笛の魅力普及、指導に30年

横笛奏者・「一声会」主宰  藤舎 眞衣 さん

 

笛奏者の藤舎眞衣(とうしゃまい)さんは、今年2月24日に金沢市の北國新聞赤羽ホールで、主宰する「横笛一声会」の30周年記念演奏会を開催。「ジェットコースターのような30年はあっという間でしたが、演奏会を門弟と共に開催出来ました事は感無量であり、さまざまな感情が沸き上がってきました。これまで支えて下さった皆様に感謝し、今後も一人でも多くの方に笛の魅力を伝えていきたい」と、秘めた決意を静かに語る

眞衣さんは、中学生から能楽の鼓、大学生から三味線など幅広い芸事を習うなか、25歳より笛を東京の中川善雄氏(笛奏者)に師事する。遅い出発であったため「継続は力なり」「不易流行」を目標とし、20代は稽古に打ち込む。師事して1年後にニューヨークのカーネギーホールで開かれた「日本の祭典」に出演し、『獅子』という合奏曲を先輩方と演奏するチャンスに恵まれた。

「合奏は、とても楽しい」と大舞台を終えた経験から感じ、自らも笛の合奏曲を作曲するようになる。愛知万博金沢市の日などに出演したほか、イタリア、台湾、シンガポールなど海外演奏会も数多い。

「学校の体育館などさまざまな場所で演奏しますが、笛に限らず伝統芸能は、古典の基礎を大切にしながらさらに幅広い層に受け入れられる努力は欠かせないと思い、いろいろなジャンルの曲を演奏しております」。平成16年金沢市文化活動賞、同18年北國芸能賞(現・芸術賞)、同28年第1回石川県文化奨励賞受賞。

現在、北國新聞文化センターや金沢素囃子子ども塾の講師を務め、後進の指導に励む。「笛は、音色に吹き手の個性が現れる」という眞衣さんの音色は澄んで芯が強い。

ボサノバ、サンバの真髄伝える

ブラジル音楽家・能美市観光大使 加々美 淳 氏

 

 1981年からブラジルでギター、ボサノバ、サンバの演奏活動を続け、帰国後、坂本龍一、小室哲哉らのレコーディングに招かれ、「メルシャンワイン」「リプトンティー」など数多くのCM音楽を制作した加々美淳(67)=東京都世田谷区=はブラジル音楽の国内第一人者である。

昭和32年4月、現・能美市(旧寺井町粟生)の生まれ。父親は開業医で、長男だったことから、医者を目指して金大附属中学、高校(27回生)へと進学したが、70年代に活躍し「冬が来る前に」などをヒットさせたフォークグループ「赤い鳥」「紙風船」の後藤悦治郎に私淑、直接触れ合い、音楽活動にのめりこむ。

米バークリー音楽大、ロンドン王立音楽大に留学の後、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロを中心に現地の大学に籍をおきながら、主にギターで演奏、アントニオ・カルロス・ジョビンら著名音楽家と交流した。

音楽家への道、海外での活動を推奨したのが、特撮テレビドラマ「ウルトラマン」などを手掛けた脚本家佐々木守(1936〜2006年2月)だった。佐々木守と加々美の母が〝はとこ〟にあたり、「幼少の頃からよく、実家に出入りしていて、米国留学も彼が勧めてくれた」と述懐する。

2019年から、駐日ブラジル大使館の依頼でソロコンサートを開始、郷里ではFM石川で番組を持ったこともあり、能美市観光大使として昨年9月、同市で同郷の俳優・吉野悠我らとイベントに出演、ブラジル音楽が郷愁を誘った。4月20日には白山市の聖興寺本堂で「ファド」ギター奏者・高柳卓也と演奏会を開く。熱狂的なブラジル音楽とは異質の雪国が育む音楽空間。橋渡しする伝道師のようだ。 (文中敬称略)

加能人 令和7年2月号

九谷色絵で日本の風土表現

日本芸術院賞受賞・陶芸家  山岸 大成 氏

 

 日展特別会員で石川県美術文化協会副理事長の陶芸家、山岸大成氏(68)=能美市寺井町=は令和5年度・第80回日本芸術院賞を受賞し、「長年にわたりテーマにしてきた日本の風土と人々の心の奥底に流れる精神性に思いを巡らす作品づくり」に傾注している。ふるさと石川が未曽有の地震や豪雨被害に見舞われただけに一層、その深い精神性を表現する創作意欲にかられているようだ。

今号表紙絵の「神々の座 綿津見(わたつみ)」は海の神様に対する怖れ、あがめ、祈る場所を波の形にした」と説き、同じく「松韻」は新年の祈りの場、路傍の石にも神様が宿るとする日本人の精神性を表現したという。

九谷焼の産地である現・能美市で明治初年より続く工芸一家に生まれた。父の山岸政明氏と長男の青矢氏は陶芸家。妻の乃布枝さんはつづれ織り、長女の紗綾さんは漆芸家であり、父を除き4人は金沢美大卒業生。2023年春に都内の平成記念美術館ギャラリーで「山岸家5人展」を開催したこともあり、東京でデザイナーの二男・舜氏を含め現代では希少な芸術ファミリーだ。

大成氏は大聖寺高から1978年金沢美大産業工芸デザイン学科卒業、同年日展に初入選、2007年に日展評議員、12年に現代工芸美術家協会理事、現代美術展運営委員長、19年に日展特別会員。地元・九谷焼産地の復興に汗をかき、古九谷発祥地論争にも一過言を持つ。

「坦々蕩々(たんたんとうとう)」を座右の銘に情熱を内に秘めながらも「苦しい時も悲しい時も泰然自若、ゆったりとした人間でありたい」と心がける。その精神性が作品に現れているようで、さらなる深化が期待される。

令和7年新年号

 

金沢で寄席をつくるのが夢

女優落語家 かはづ亭みなみ さん

 

「座布団1枚でどこへでも馳せ参じます」。高座名・かはづ亭みなみさん(38、東映東京撮影所俳優部所属)は三納みなみの芸名で俳優として舞台や映画にも出演しており、落語家との二足の草鞋を履く。かつ東京と出身地・金沢の2拠点で活動する異色の女優落語家として売り出し中だ。

「小学生の時に劇団四季を観たことがきっかけで演劇に興味を持ち、二水高に入学時、演劇部がなかったため額中の先輩がいた錦丘高の演劇部に毎日通って稽古した」という。さらに演劇を学ぶため桐朋学園芸術短大(東京)に進学し、卒業後、劇団「新宿梁山泊」に入り、舞台女優として活動、ポーランドや韓国など海外の舞台に立ったことも。

「お芝居の勉強の一環で日舞や能などの日本の伝統芸能を観るようになり、24歳の時、故・立川談志の高座を映像で見て衝撃を受けた。落語はたった一人で何役もこなす究極のエンターテイメント」と気づく。それから、都内の寄席に通うようになり、目の前で生の落語に触れていった。

立川談四楼師匠に落語の手ほどきを受け30歳で寄席を開く。コロナ禍と里帰り出産したことを機に落語にシフトするが、今年6月公開の映画「九十歳。何がめでたい」などにも出演し女優業も復活。また、古典の日の11月1日、金沢海みらい図書館で寄席を披露=写真=、同月9日、東京・北沢タウンホールで演芸会を自らプロデュースした。

高座名は「進化していく芸人を目指し好きなカエルから名付けた。ふるさと金沢で寄席をつくるのが夢」と目を輝かす。新しい女性の生き方のモデルになりそうだ。

加能人 令和6年12月号

三味線一人語り、コラボも

地歌箏曲家

竹澤 悦子 さん

 

 上方の古典的な地歌筝曲家を名乗りながら交響楽団との共演や自ら結成した箏カルテットで米カーネギーホールに出演したこともある邦楽レジェンドである。七尾市出身の竹澤悦子さん(61)=沢井箏曲院教授、都内在住=は、能登半島地震で同市池崎の実家が被災する中、今年4月、中能登中学や穴水中学の両校で支援コンサートに出演するなど精力的に活動している。

実家は繊維業を営み、音楽的な家庭環境で育ったわけではなかったが、「9歳上の兄がギターを弾いていた影響からとにかく音楽が好き」で、8歳から生田流筝曲を習う。朝日中学(現・七尾中学)では吹奏楽部でテナーサックスを吹き、七尾高に進学し、音楽家を目指すが、「ピアノが苦手で、当時東京芸大音楽学部邦楽科が唯一、ピアノの実技がなくて志望校にし、沢井筝曲院の沢井忠夫、一恵両師に師事し内弟子になった。2浪はしましたけど」と打ち明ける。

1987年に東京芸大卒後、沢井忠夫合奏団CD「箏」で文化庁芸術作品賞を受賞、同年、沢井琴アンサンブルで欧米、アジア各国で公演、93年に「KOTO VORTEX」を結成。2010年、市川交響楽団定期公演で弾き歌いによる新作箏協奏曲のソリストを務め、様々な分野で合奏した。

2020年から三味線一人語り「浪曲地歌」を開始、今年7月に「相撲もの『初代・高砂浦五郎』の生涯=写真=を熱演した。金沢市の生田流箏曲家・麻井紅仁子さんらが企画する「和楽器組曲・百人で奏でる百万石メモリーズ」のプロジェクトにも参加しており、「若い人にも邦楽の魅力を伝えたい」と、能登女性の骨太な気概をみせる。

加能人 令和6年11月号

一般財団法人平成紫川会 小倉記念病院理事長・病院長

腰地 孝昭 氏

 

 循環器系疾患に強い西日本有数の一般財団法人平成紫川会・小倉記念病院(福岡県北九州市)の理事長・病院長の腰地孝昭氏(68)は、虚心性心疾患や心臓弁膜症、大動脈外科手術を専門とする心臓外科医である。現在は治療現場から離れ650床、職員約1千500人の大病院のトップとして高度先進医療を推進する人材育成に力を入れている。

七尾市中島町出身。実家は能登演劇堂近くにあり、例年9月に開催される「お熊甲祭」は少年の頃から見物に出かけたという。七尾高理数科(25回)から1984年に京大医学部卒、97年に同大心臓血管外科助手、99年に仏マルセイユの大学に留学、2000年に熊本中央病院心臓血管外科部長、09年に福井大外科学2教授になり、16年から5年間、同大医学部附属病院長を歴任、23年から現職。

小倉記念病院は100年余の歴史があり、特に循環器疾患に特化した病院として知られ、患者は九州に限らず、中国、四国地方からも訪れる。心臓血管外科修練指導者としてチームワークを重視した手術を実施することで知られ、福井大附属病院などでの実績から抜擢された。

全国的に医療現場は医師、看護師など人材不足で小倉記念病院も例外ではない。「医療DX推進室を設け、手術支援ロボットを積極的に導入して対応している」と語る。

夫人らは大阪府吹田市にいて目下、単身赴任生活。中学、高校は野球、サッカーに興じたスポーツマンで、今もゴルフを楽しむ。座右の銘は作家・小田実の著書名でもある「何でも見てやろう」。趣味の囲碁で言われる大局観を持ちながら好奇心旺盛なところが真骨頂だろうか。

加能人 令和6年10月号

金沢で求愛され22年

歌手・石川県観光大使

島津 悦子 さん

 

 石川県観光大使の演歌歌手、島津悦子さん(62)=キングレコード=は、元日の能登半島地震を金沢市内の自宅で体感、1月と3月に1・5次避難所へ金沢の農業女子たち「農魔女」と炊き出しに出かけたほか、6月に志賀町と能登町で単独の応援コンサートを開き、珠洲市三崎中では伍代夏子さんらと一緒に「美魔女たちのOH!艶歌」に出演するなどボランティア活動に励んでいる。

鹿児島県出身、地元の高校を卒業後、珠算と簿記とも1級の資格を持ちながら歌への夢を追い、静岡市の観光バス会社に就職。2年半のバスガイド経験を生かし、自費でレコードを出しプロの歌手を目指した。毎日30台ほど観光バスに乗り込んでセールスする中、現在の夫で北川物産グループ(金沢市)の北川博代表(76)と劇的な出会いがあった。

「私が24歳のとき、金沢の会社の社員旅行で静岡に来ていたバスに飛び込んだ折、乗車約70人全員に1枚ずつ買っていただいた際の責任者が今の夫でした」と吐露。2作目の『恋路浜』を歌って能登に縁を持ち、3作目『紙の舟』で日本有線大賞音楽賞に輝き、石川の放送局に出演する機会に金沢で再会する。

実際に結婚したのが40歳のとき、2002年、北川社長(当時)が脳内出血で入院、見舞いの病床で求婚されるが、それまでと同様、「結婚=引退」から断ると、「だれが歌手をやめろと言った。オレは大丈夫だ。夢を追いかけろ」と言われ、大号泣のすえゴールインした。

夫のリハビリを助けながら歌手生活を続け、これまでリリースした曲は今年1月発売の「」を含め60曲超。MROラジオ「島津悦子の歌謡ナビゲーション」などレギュラー番組2本。結婚生活22年、純愛ドラマのような体験と多くの出会いがメジャーな歌手に育てたようだ。

加能人 令和6年9月号

「大原学園」成功の秘訣

学校法人大原学園 学園長

公認会計士

中川 和久 氏

 

 各種専門学校と社会人や大学生向けの資格講座等を中心に全国に120校展開する大原学園グループの学園長である羽咋市出身の中川和久氏(67)は、理事長時代に「教職員と共に目標達成」を学園の指針に掲げ、合格・就職実績の向上実現を達成してきた。さる7月21日、羽咋市内で開かれた母校・羽咋高同窓会の総会に招かれた際には、その成功の秘訣と共に「地域№1の進学校を目指そう」と熱弁を振るった。

「学生に目的・目標を決めさせ、やる気にさせる。小さな成功体験を積み重ね自信をつけさせる。いかに学生の心に灯をつけさせるかが大事だ」。自身も29歳で公認会計士になってからも教壇に立ち続けた教育者であり、その誇りや夢を現在は教職員1千619人が受け継ぎ大原学園は今も成長を続けている。

羽咋高(27回生)時代に法律家を目指し、中央大学法学部に進学。「そば屋のアルバイトで配達先の会社を回っているうち入り口に入っただけで会社の経営状態が分かった。それがきっかけで金に興味を持ち目標を公認会計士に切り替えた」とユーモアを交えて自伝を語る。

大原学園は金沢にも拠点があり、大原簿記法律観光専門学校、大原医療・スポーツ専門学校、金沢ウエディング・ビューティー専門学校、金沢情報ITクリエイター専門学校を設置し、地元で活躍する若者の育成に力を注ぐ。都内では社会人のリスキリングのニーズに応えるべく、来春の通信制大学設置を目指している。

「人は自分の思った通りになる」を座右の銘に、多くの若者の成功のため、教職員と共に進み続ける。教育者としての信念はこれからも変わらない。

加能人 令和6年8月号

「学校寄席」能登開催に意欲

寄席三味線奏者

豊田 公美子 さん

 

 「ふるさとの子ども達に生の演芸文化に触れてもらいたい」。上方落語界で寄席三味線奏者として活躍する輪島市出身の豊田公美子さん(50、旧姓畑中)=大阪府吹田市在住=は、コロナ禍や能登半島地震で開催が難しくなった小中高校などでの「学校寄席」開催に意欲を燃やしている。

寄席三味線奏者は、落語家が舞台へ上がる際に下座で太鼓、笛などと一緒に〝出囃子〟を奏でる。スポーツ界では野球選手などが自分のテーマソングで登場しているが、落語家もキャリアを積むと自分の出囃子を持つ。

出囃子だけではなく上方落語では物語の情景描写や主人公の心理描写に囃子を入れており、「噺の内容などよくわかっていないと弾けない、様々な邦楽の知識も求められる」と、伝統芸能の難しさを語る。

1992(平成4)年に輪島高卒、関西大に進学し、寄席独特の寄席文字に興味を持ち落語研究会に入り、そこで寄席三味線を知ったという。卒業後、テレビ番組制作に携わるが結婚を機に退職、その時の縁で落語芸能事務所で働くことになり、再び寄席三味線に触れ、03年に寄席三味線の大川貴子師匠の門を叩いた。

コロナ禍前に輪島市で落語会を開き、昨年10月、金沢市の西検番事務所での落語会「上方ばなし 芝居噺篇」を企画したこともあるが、「学校寄席」は実現していない。

能登震災により輪島市内の実家が全壊した。仮設住宅暮らしの両親を心配しながら4月19日、「のと鉄道応援チャリティー落語会」(大阪・天満天神繁昌亭)や6月6日、「桂まん我ひとり会」(金沢21世紀美術館)に出演しており、「ふるさとに笑顔が広がってほしい」と前を向く。

加能人 令和6年7月号

緊急輸送指揮し能登入り

公益社団法人全日本トラック協会会長

坂本 克己 氏

 

 公益社団法人全日本トラック協会(全ト協)の坂本克己会長(85)=大阪市石川県人会長=は元日の能登半島地震を受け、全国の運輸業約6万3千社が加盟する全ト協(東京)に対策本部を設置し、「トラック輸送は、生活と経済を支えるライフライン、国や地方自治体と連携し、迅速に緊急・救援輸送に懸命に当たってほしい」と、石川県トラック協会をはじめ全国の協会を通じて国のプッシュ型緊急物資輸送を始めるよう檄を飛ばした。

坂本会長は、日本タクシー、大阪運輸倉庫、北港観光バス3社で構成する日タクホールディングス(HD、大阪市)の代表取締役会長であり、社長時代に阪神大震災を経験、熊本大震災発生の時は、二階俊博自民党総務会長(当時)から直接、携帯電話に緊急支援物資輸送の応援要請を受けたことがあった。

父親の出身地である小松市に戦時疎開した経験があり、ふるさと石川の非常時に間髪入れず立ち上がった格好。1月17日に斉藤鉄夫国土交通相らと馳浩石川県知事を訪問し物資の拠点だった県産業展示館から片道5時間半かけて被災地の穴水町の活動状況を視察した。

全ト協会長としてトラック運転手の時間外労働規制など「物流の2024年問題」への対応を迫られる中、持ち前の政治力を発揮、関連法案の成立により4月1日に施行された。「トラックGメンによる荷主対策強化、標準的な運賃の引き上げ」などが打ち出されたが、「銭形平次の十手でんな。8月から我々業界内で荷主に対し調査権を持てるようになる」と、戦記物の愛読者らしい例え。6月から8年目、迅速果敢をモットーに気構えは戦国武将のよう。

加能人 令和6年6月号

断らない・諦めない医療実践

日本医科大学消化器外科主任教授・同大付属病院副院長

吉田 寛 氏

 

 私立医大トップクラスの日本医科大消化器外科主任教授で同大付属病院の吉田寛副院長(63)=金沢市出身、東京都世田谷区=は、コロナ禍などにおいて患者のたらいまわしが社会問題になる中、「日本で一番多くの重症患者を受け入れ、院内感染は非常に少なかった」と胸を張る。〝断らない・諦めない医療〟の実践を掲げ、若手医師の指導育成に奮闘している。

母親が珠洲市宝立町出身で、元日の能登半島地震時には本人、母親とも都内にいて無事だったが、母方の実家が倒壊する被害に遭った。能登の縁からか、相撲が強かった父親の影響もあって少年の頃から相撲好き。金大附属の幼稚園から小・中・高校(30回卒)を経て1986年に日本医科大、92年に同大学院修了、外科医になってからも相撲に励んだ。

185センチの長身。「学生時代はガリガリに痩せていて相撲は強くなかったが、医者になって体格が良くなって強くなった」と言い、30歳のとき、茨城県の病院に派遣され、同県相撲大会で上位入賞し国体に出場している。現在、日本医科大相撲部の部長、東日本学生相撲連盟理事。

2016年から2年間、日本医大多摩永山病院の院長を経て18年から現職。外科医としては、肝胆脾門脈外科、肝移植、ⅠⅤR、超音波を中心とする画像診断学が専門。日本門脈圧亢進症学会理事長、日本外科系連合学会理事長、脾臓研究会代表世話人など公職多数。

「トラブルが起きた時、動揺しない対応」は様々な人生経験から会得したよう。いしかわ観光特使も引き受けており、郷土愛は強い。震災復興へ「為せば成る」とエールを送る。

加能人 令和6年5月号

能登震災でチャリティー演奏

パーカッション奏者・能美市観光大使

中山 理恵 さん

 

能美市観光大使を務める気鋭のパーカッション奏者、中山理恵さん(45)=東京都町田市在住=は能登半島地震発生から約1カ月後の2月3、4日、町田市小山ヶ丘の「ギャラリーカフェアルル。」で開かれた女性だけ6組9人が出演した緊急支援コンサートに参加。延べ約100人の聴衆から約30万円超の義援金が寄せられ、「ふるさと石川のお役に立てて良かった」と、演奏の充実感に浸った。

この会場は、金沢市出身で小学生の時に七尾市で暮らした杉浦美代子さんが運営しており、東日本大震災から毎年5月にチャリティーコンサートを開催。中山理恵さんはマリンバ奏者の三浦咲さんとコンビを組む「クラッケロ」として今年5月18、19日のアルルでの同コンサートにも出演する。

能美市出身で9歳よりピアノを始め、辰口中学の吹奏楽部に指導に来ていた打楽器奏者の講師にあこがれ、プロを目指して、音楽コースのあった小松市立高に進学、東京芸大音楽部器楽科打楽器専攻を卒業した。

在学中よりプロオーケストラ、打楽器アンサンブルや劇団四季、東宝ミュージカルなどに参加、ホテルなどでの打楽器ソロパフォーマンスも行い、パワフルで繊細な表現力には定評がある。

2018年5月に能美市観光大使に委嘱され、年1回、同大使・特使が集うイベントに参加している。プロの打楽器奏者になることに両親が反対したと苦笑いするが、「(両親が暮らす)能美市での演奏は特別な感じがして楽しみにしています。育ててくれたふるさとに少しでも恩返しをしたい」と、目を輝かす。

加能人 令和6年4月号

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