話題の人

「唯一無二」の大横綱目指す

第75代横綱 大の里

 

日本相撲協会提供

「横綱の地位を汚さぬよう稽古に精進し、唯一無二の横綱を目指します」。大の里(25、本名中村泰輝、津幡町出身)は、日本相撲協会の横綱審議会で「品格力量抜群」と満場一致で推挙され、5月28日、茨城県阿見町の二所ノ関部屋で昇進伝達式に臨み、堂々と口上を述べた。

身長192センチ、体重191キロと幕内力士で最も体格に恵まれ、柔らかい身体が土俵際を踏み留まらせる。津幡町少年相撲教室を皮切りに、親元を離れ、新潟県糸魚川市の能生中学に相撲留学、同市の海洋高から日体大に進学、1年生で学生横綱になった各界のエリート。

「夏場所の後半に迷いが生じ、綱の重みを意識して眠れなかった」と告白するが、四股を踏み、すり足など基礎をしっかりやるうちに重圧を解消したよう。二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)という師匠にも恵まれ、明治神宮での奉納土俵入りは親方と同じ雲竜型を披露した。さまざまな晴れ舞台の片隅で父親の中村知幸さん、母親の朋子さん、妹の葵さんが感激の涙を浮かべながら雄姿を見守っており、家族愛にも支えられている。

石川からの横綱誕生は、第54代の輪島(七尾市出身)以来、52年ぶり。その輪島の所要21場所を大きく更新し、13場所のスピード昇進を果たした。「(輪島さんには)まだまだかなわない。超えられるように頑張りたい」。輪島の優勝14回超えが当面の目標になる。

6月29日に津幡町で大関の時同様に祝賀パレードが予定されており、石川県民栄誉賞や津幡町民栄誉賞の贈呈が検討されている。全国にファンが多く、「各界の大谷翔平」とまで呼ばれる。〝黄金の力士〟は、応援によって磨かれていくのだろう。

加能人 令和7年6月号

「加賀縫(ぬい)」を伝承、装飾品に

刺しゅう作家 横山幸希 さん

 金銀の絹糸を織り交ぜて花鳥風月の模様をつくる国指定伝統的工芸品「加賀繡」。刺しゅう作家、横山幸希(ゆき)さん(25)は、加賀繡の伝統工芸士である母・佐知子さん(56)が営む「加賀繡IMAI」(金沢市三口新町)で、100年続く加賀繍の伝統的技術を継承するとともに「身近なジュエリー(装飾品)としてもっと美術的価値を高めていきたい」と刺しゅう作家活動に意欲を燃やす。

「小さい頃から曾祖母(今井福枝)や母親と一緒に加賀繡に親しんできましたが、作家になるとは思ってなく、大学進学の折は経営面から加賀繡を支えたい」と考え、中央大商学部へ。就職先を探す時期になって「やっぱり自分で作りたい」と心境が変化し、東京の杉野服飾大大学院に進み、ジュエリーを学んだ。

今年4月まで東京の繊維商社に勤めていたが、本格的に作家活動に入るため金沢に帰り、加賀繡を制作。2024年4月、東京都美術館で開かれた第62回日本現代工芸美術展・一般の部に初出品、現代工芸賞を受賞した。

受賞作「五候」は、日本の72ある日本の季節感5つを表現、四角や三角の立体の中に加賀繡の技法を用いて濃淡の異なる赤色で抽象的な模様を描いた。「具象的な模様でなくても加賀繡が美しくみせられる」ことが自信になったよう。

父親はスポーツ好きの整形外科医。幸希さんは中学生から陸上競技を始め、金沢高時代に円盤投げで国体出場経験を持つ異色のアーティスト。自らの名を付けたアクセサリーブランド「YOYUKI」も展開しており、伝統工芸の世界に新風を吹き込む格好だ。

加能人 令和7年5月号

「音楽は心のレストラン」

芸術選奨文部大臣賞受賞

OEKアーティスティック・リーダー

広上淳一 氏

 

 オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のアーティスティック・リーダーである広上淳一氏(66)は今年3月3日、文化庁が発表した2024年度芸術選奨の文部大臣賞を受賞した。能登半島地震により昨年2月から金沢市内の2次避難所を皮切りに能登の避難所や病院、小学校、道の駅などにOEKでは80回超、自らも10数回足を運び、鍵盤ハーモニカを吹く出前演奏を繰り広げたことなどが評価された。

 1983年に東京音大を卒後、84年アムステルダムで開催されたキリル・コンドラシン指揮者コンクールで優勝、ノールショピング交響楽団(スウェーデン)、コロンバス交響楽団(アメリカ)、京都市交響楽団等での音楽監督職を歴任、マエストロと呼ばれる国内外で評価の高い名指揮者。今年元日に輪島市で営まれた犠牲者追悼式では献奏のタクトを振ったが、出前演奏ではクラシック音楽の堅苦しさは感じさせず、親しみやすいパフォーマンスで被災者の心に寄り添う。

 「2年半前(2022年9月)に金沢に来たときに考えていた5年計画は震災と豪雨でそれどころではなくなった。被災者にクラシック音楽を聴いてもらう余裕はなく、こちらから出かけるのが最良だと判断した」と語る。「音楽は心のレストラン。少しでも人々の心が癒やされれば」と、ガルガンチュア音楽祭などのほか、団員を身近に知ってもらうため金沢市内の居酒屋などでも演奏し、ファン層拡大に汗をかく。

 東京生まれだが、祖父母、両親とも富山市出身で、「北陸には馴染みがあり、金沢は人生最終章の場所」ときっぱり。「謙虚、向学」を座右の銘に、力強くタクトを振る。

加能人 令和7年4月号

笛の魅力普及、指導に30年

横笛奏者・「一声会」主宰  藤舎 眞衣 さん

 

笛奏者の藤舎眞衣(とうしゃまい)さんは、今年2月24日に金沢市の北國新聞赤羽ホールで、主宰する「横笛一声会」の30周年記念演奏会を開催。「ジェットコースターのような30年はあっという間でしたが、演奏会を門弟と共に開催出来ました事は感無量であり、さまざまな感情が沸き上がってきました。これまで支えて下さった皆様に感謝し、今後も一人でも多くの方に笛の魅力を伝えていきたい」と、秘めた決意を静かに語る

眞衣さんは、中学生から能楽の鼓、大学生から三味線など幅広い芸事を習うなか、25歳より笛を東京の中川善雄氏(笛奏者)に師事する。遅い出発であったため「継続は力なり」「不易流行」を目標とし、20代は稽古に打ち込む。師事して1年後にニューヨークのカーネギーホールで開かれた「日本の祭典」に出演し、『獅子』という合奏曲を先輩方と演奏するチャンスに恵まれた。

「合奏は、とても楽しい」と大舞台を終えた経験から感じ、自らも笛の合奏曲を作曲するようになる。愛知万博金沢市の日などに出演したほか、イタリア、台湾、シンガポールなど海外演奏会も数多い。

「学校の体育館などさまざまな場所で演奏しますが、笛に限らず伝統芸能は、古典の基礎を大切にしながらさらに幅広い層に受け入れられる努力は欠かせないと思い、いろいろなジャンルの曲を演奏しております」。平成16年金沢市文化活動賞、同18年北國芸能賞(現・芸術賞)、同28年第1回石川県文化奨励賞受賞。

現在、北國新聞文化センターや金沢素囃子子ども塾の講師を務め、後進の指導に励む。「笛は、音色に吹き手の個性が現れる」という眞衣さんの音色は澄んで芯が強い。

加能人 令和7年3月号

ボサノバ、サンバの真髄伝える

ブラジル音楽家・能美市観光大使 加々美 淳 氏

 

 1981年からブラジルでギター、ボサノバ、サンバの演奏活動を続け、帰国後、坂本龍一、小室哲哉らのレコーディングに招かれ、「メルシャンワイン」「リプトンティー」など数多くのCM音楽を制作した加々美淳(67)=東京都世田谷区=はブラジル音楽の国内第一人者である。

昭和32年4月、現・能美市(旧寺井町粟生)の生まれ。父親は開業医で、長男だったことから、医者を目指して金大附属中学、高校(27回生)へと進学したが、70年代に活躍し「冬が来る前に」などをヒットさせたフォークグループ「赤い鳥」「紙風船」の後藤悦治郎に私淑、直接触れ合い、音楽活動にのめりこむ。

米バークリー音楽大、ロンドン王立音楽大に留学の後、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロを中心に現地の大学に籍をおきながら、主にギターで演奏、アントニオ・カルロス・ジョビンら著名音楽家と交流した。

音楽家への道、海外での活動を推奨したのが、特撮テレビドラマ「ウルトラマン」などを手掛けた脚本家佐々木守(1936〜2006年2月)だった。佐々木守と加々美の母が〝はとこ〟にあたり、「幼少の頃からよく、実家に出入りしていて、米国留学も彼が勧めてくれた」と述懐する。

2019年から、駐日ブラジル大使館の依頼でソロコンサートを開始、郷里ではFM石川で番組を持ったこともあり、能美市観光大使として昨年9月、同市で同郷の俳優・吉野悠我らとイベントに出演、ブラジル音楽が郷愁を誘った。4月20日には白山市の聖興寺本堂で「ファド」ギター奏者・高柳卓也と演奏会を開く。熱狂的なブラジル音楽とは異質の雪国が育む音楽空間。橋渡しする伝道師のようだ。 (文中敬称略)

加能人 令和7年2月号

九谷色絵で日本の風土表現

日本芸術院賞受賞・陶芸家  山岸 大成 氏

 

 日展特別会員で石川県美術文化協会副理事長の陶芸家、山岸大成氏(68)=能美市寺井町=は令和5年度・第80回日本芸術院賞を受賞し、「長年にわたりテーマにしてきた日本の風土と人々の心の奥底に流れる精神性に思いを巡らす作品づくり」に傾注している。ふるさと石川が未曽有の地震や豪雨被害に見舞われただけに一層、その深い精神性を表現する創作意欲にかられているようだ。

今号表紙絵の「神々の座 綿津見(わたつみ)」は海の神様に対する怖れ、あがめ、祈る場所を波の形にした」と説き、同じく「松韻」は新年の祈りの場、路傍の石にも神様が宿るとする日本人の精神性を表現したという。

九谷焼の産地である現・能美市で明治初年より続く工芸一家に生まれた。父の山岸政明氏と長男の青矢氏は陶芸家。妻の乃布枝さんはつづれ織り、長女の紗綾さんは漆芸家であり、父を除き4人は金沢美大卒業生。2023年春に都内の平成記念美術館ギャラリーで「山岸家5人展」を開催したこともあり、東京でデザイナーの二男・舜氏を含め現代では希少な芸術ファミリーだ。

大成氏は大聖寺高から1978年金沢美大産業工芸デザイン学科卒業、同年日展に初入選、2007年に日展評議員、12年に現代工芸美術家協会理事、現代美術展運営委員長、19年に日展特別会員。地元・九谷焼産地の復興に汗をかき、古九谷発祥地論争にも一過言を持つ。

「坦々蕩々(たんたんとうとう)」を座右の銘に情熱を内に秘めながらも「苦しい時も悲しい時も泰然自若、ゆったりとした人間でありたい」と心がける。その精神性が作品に現れているようで、さらなる深化が期待される。

令和7年新年号

 

金沢で寄席をつくるのが夢

女優落語家 かはづ亭みなみ さん

 

「座布団1枚でどこへでも馳せ参じます」。高座名・かはづ亭みなみさん(38、東映東京撮影所俳優部所属)は三納みなみの芸名で俳優として舞台や映画にも出演しており、落語家との二足の草鞋を履く。かつ東京と出身地・金沢の2拠点で活動する異色の女優落語家として売り出し中だ。

「小学生の時に劇団四季を観たことがきっかけで演劇に興味を持ち、二水高に入学時、演劇部がなかったため額中の先輩がいた錦丘高の演劇部に毎日通って稽古した」という。さらに演劇を学ぶため桐朋学園芸術短大(東京)に進学し、卒業後、劇団「新宿梁山泊」に入り、舞台女優として活動、ポーランドや韓国など海外の舞台に立ったことも。

「お芝居の勉強の一環で日舞や能などの日本の伝統芸能を観るようになり、24歳の時、故・立川談志の高座を映像で見て衝撃を受けた。落語はたった一人で何役もこなす究極のエンターテイメント」と気づく。それから、都内の寄席に通うようになり、目の前で生の落語に触れていった。

立川談四楼師匠に落語の手ほどきを受け30歳で寄席を開く。コロナ禍と里帰り出産したことを機に落語にシフトするが、今年6月公開の映画「九十歳。何がめでたい」などにも出演し女優業も復活。また、古典の日の11月1日、金沢海みらい図書館で寄席を披露=写真=、同月9日、東京・北沢タウンホールで演芸会を自らプロデュースした。

高座名は「進化していく芸人を目指し好きなカエルから名付けた。ふるさと金沢で寄席をつくるのが夢」と目を輝かす。新しい女性の生き方のモデルになりそうだ。

加能人 令和6年12月号

三味線一人語り、コラボも

地歌箏曲家

竹澤 悦子 さん

 

 上方の古典的な地歌筝曲家を名乗りながら交響楽団との共演や自ら結成した箏カルテットで米カーネギーホールに出演したこともある邦楽レジェンドである。七尾市出身の竹澤悦子さん(61)=沢井箏曲院教授、都内在住=は、能登半島地震で同市池崎の実家が被災する中、今年4月、中能登中学や穴水中学の両校で支援コンサートに出演するなど精力的に活動している。

実家は繊維業を営み、音楽的な家庭環境で育ったわけではなかったが、「9歳上の兄がギターを弾いていた影響からとにかく音楽が好き」で、8歳から生田流筝曲を習う。朝日中学(現・七尾中学)では吹奏楽部でテナーサックスを吹き、七尾高に進学し、音楽家を目指すが、「ピアノが苦手で、当時東京芸大音楽学部邦楽科が唯一、ピアノの実技がなくて志望校にし、沢井筝曲院の沢井忠夫、一恵両師に師事し内弟子になった。2浪はしましたけど」と打ち明ける。

1987年に東京芸大卒後、沢井忠夫合奏団CD「箏」で文化庁芸術作品賞を受賞、同年、沢井琴アンサンブルで欧米、アジア各国で公演、93年に「KOTO VORTEX」を結成。2010年、市川交響楽団定期公演で弾き歌いによる新作箏協奏曲のソリストを務め、様々な分野で合奏した。

2020年から三味線一人語り「浪曲地歌」を開始、今年7月に「相撲もの『初代・高砂浦五郎』の生涯=写真=を熱演した。金沢市の生田流箏曲家・麻井紅仁子さんらが企画する「和楽器組曲・百人で奏でる百万石メモリーズ」のプロジェクトにも参加しており、「若い人にも邦楽の魅力を伝えたい」と、能登女性の骨太な気概をみせる。

加能人 令和6年11月号

一般財団法人平成紫川会 小倉記念病院理事長・病院長

腰地 孝昭 氏

 

 循環器系疾患に強い西日本有数の一般財団法人平成紫川会・小倉記念病院(福岡県北九州市)の理事長・病院長の腰地孝昭氏(68)は、虚心性心疾患や心臓弁膜症、大動脈外科手術を専門とする心臓外科医である。現在は治療現場から離れ650床、職員約1千500人の大病院のトップとして高度先進医療を推進する人材育成に力を入れている。

七尾市中島町出身。実家は能登演劇堂近くにあり、例年9月に開催される「お熊甲祭」は少年の頃から見物に出かけたという。七尾高理数科(25回)から1984年に京大医学部卒、97年に同大心臓血管外科助手、99年に仏マルセイユの大学に留学、2000年に熊本中央病院心臓血管外科部長、09年に福井大外科学2教授になり、16年から5年間、同大医学部附属病院長を歴任、23年から現職。

小倉記念病院は100年余の歴史があり、特に循環器疾患に特化した病院として知られ、患者は九州に限らず、中国、四国地方からも訪れる。心臓血管外科修練指導者としてチームワークを重視した手術を実施することで知られ、福井大附属病院などでの実績から抜擢された。

全国的に医療現場は医師、看護師など人材不足で小倉記念病院も例外ではない。「医療DX推進室を設け、手術支援ロボットを積極的に導入して対応している」と語る。

夫人らは大阪府吹田市にいて目下、単身赴任生活。中学、高校は野球、サッカーに興じたスポーツマンで、今もゴルフを楽しむ。座右の銘は作家・小田実の著書名でもある「何でも見てやろう」。趣味の囲碁で言われる大局観を持ちながら好奇心旺盛なところが真骨頂だろうか。

加能人 令和6年10月号

金沢で求愛され22年

歌手・石川県観光大使

島津 悦子 さん

 

 石川県観光大使の演歌歌手、島津悦子さん(62)=キングレコード=は、元日の能登半島地震を金沢市内の自宅で体感、1月と3月に1・5次避難所へ金沢の農業女子たち「農魔女」と炊き出しに出かけたほか、6月に志賀町と能登町で単独の応援コンサートを開き、珠洲市三崎中では伍代夏子さんらと一緒に「美魔女たちのOH!艶歌」に出演するなどボランティア活動に励んでいる。

鹿児島県出身、地元の高校を卒業後、珠算と簿記とも1級の資格を持ちながら歌への夢を追い、静岡市の観光バス会社に就職。2年半のバスガイド経験を生かし、自費でレコードを出しプロの歌手を目指した。毎日30台ほど観光バスに乗り込んでセールスする中、現在の夫で北川物産グループ(金沢市)の北川博代表(76)と劇的な出会いがあった。

「私が24歳のとき、金沢の会社の社員旅行で静岡に来ていたバスに飛び込んだ折、乗車約70人全員に1枚ずつ買っていただいた際の責任者が今の夫でした」と吐露。2作目の『恋路浜』を歌って能登に縁を持ち、3作目『紙の舟』で日本有線大賞音楽賞に輝き、石川の放送局に出演する機会に金沢で再会する。

実際に結婚したのが40歳のとき、2002年、北川社長(当時)が脳内出血で入院、見舞いの病床で求婚されるが、それまでと同様、「結婚=引退」から断ると、「だれが歌手をやめろと言った。オレは大丈夫だ。夢を追いかけろ」と言われ、大号泣のすえゴールインした。

夫のリハビリを助けながら歌手生活を続け、これまでリリースした曲は今年1月発売の「」を含め60曲超。MROラジオ「島津悦子の歌謡ナビゲーション」などレギュラー番組2本。結婚生活22年、純愛ドラマのような体験と多くの出会いがメジャーな歌手に育てたようだ。

加能人 令和6年9月号

「大原学園」成功の秘訣

学校法人大原学園 学園長

公認会計士

中川 和久 氏

 

 各種専門学校と社会人や大学生向けの資格講座等を中心に全国に120校展開する大原学園グループの学園長である羽咋市出身の中川和久氏(67)は、理事長時代に「教職員と共に目標達成」を学園の指針に掲げ、合格・就職実績の向上実現を達成してきた。さる7月21日、羽咋市内で開かれた母校・羽咋高同窓会の総会に招かれた際には、その成功の秘訣と共に「地域№1の進学校を目指そう」と熱弁を振るった。

「学生に目的・目標を決めさせ、やる気にさせる。小さな成功体験を積み重ね自信をつけさせる。いかに学生の心に灯をつけさせるかが大事だ」。自身も29歳で公認会計士になってからも教壇に立ち続けた教育者であり、その誇りや夢を現在は教職員1千619人が受け継ぎ大原学園は今も成長を続けている。

羽咋高(27回生)時代に法律家を目指し、中央大学法学部に進学。「そば屋のアルバイトで配達先の会社を回っているうち入り口に入っただけで会社の経営状態が分かった。それがきっかけで金に興味を持ち目標を公認会計士に切り替えた」とユーモアを交えて自伝を語る。

大原学園は金沢にも拠点があり、大原簿記法律観光専門学校、大原医療・スポーツ専門学校、金沢ウエディング・ビューティー専門学校、金沢情報ITクリエイター専門学校を設置し、地元で活躍する若者の育成に力を注ぐ。都内では社会人のリスキリングのニーズに応えるべく、来春の通信制大学設置を目指している。

「人は自分の思った通りになる」を座右の銘に、多くの若者の成功のため、教職員と共に進み続ける。教育者としての信念はこれからも変わらない。

加能人 令和6年8月号

「学校寄席」能登開催に意欲

寄席三味線奏者

豊田 公美子 さん

 

 「ふるさとの子ども達に生の演芸文化に触れてもらいたい」。上方落語界で寄席三味線奏者として活躍する輪島市出身の豊田公美子さん(50、旧姓畑中)=大阪府吹田市在住=は、コロナ禍や能登半島地震で開催が難しくなった小中高校などでの「学校寄席」開催に意欲を燃やしている。

寄席三味線奏者は、落語家が舞台へ上がる際に下座で太鼓、笛などと一緒に〝出囃子〟を奏でる。スポーツ界では野球選手などが自分のテーマソングで登場しているが、落語家もキャリアを積むと自分の出囃子を持つ。

出囃子だけではなく上方落語では物語の情景描写や主人公の心理描写に囃子を入れており、「噺の内容などよくわかっていないと弾けない、様々な邦楽の知識も求められる」と、伝統芸能の難しさを語る。

1992(平成4)年に輪島高卒、関西大に進学し、寄席独特の寄席文字に興味を持ち落語研究会に入り、そこで寄席三味線を知ったという。卒業後、テレビ番組制作に携わるが結婚を機に退職、その時の縁で落語芸能事務所で働くことになり、再び寄席三味線に触れ、03年に寄席三味線の大川貴子師匠の門を叩いた。

コロナ禍前に輪島市で落語会を開き、昨年10月、金沢市の西検番事務所での落語会「上方ばなし 芝居噺篇」を企画したこともあるが、「学校寄席」は実現していない。

能登震災により輪島市内の実家が全壊した。仮設住宅暮らしの両親を心配しながら4月19日、「のと鉄道応援チャリティー落語会」(大阪・天満天神繁昌亭)や6月6日、「桂まん我ひとり会」(金沢21世紀美術館)に出演しており、「ふるさとに笑顔が広がってほしい」と前を向く。

加能人 令和6年7月号

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