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「学校寄席」能登開催に意欲

寄席三味線奏者

豊田 公美子 さん

 

 「ふるさとの子ども達に生の演芸文化に触れてもらいたい」。上方落語界で寄席三味線奏者として活躍する輪島市出身の豊田公美子さん(50、旧姓畑中)=大阪府吹田市在住=は、コロナ禍や能登半島地震で開催が難しくなった小中高校などでの「学校寄席」開催に意欲を燃やしている。

寄席三味線奏者は、落語家が舞台へ上がる際に下座で太鼓、笛などと一緒に〝出囃子〟を奏でる。スポーツ界では野球選手などが自分のテーマソングで登場しているが、落語家もキャリアを積むと自分の出囃子を持つ。

出囃子だけではなく上方落語では物語の情景描写や主人公の心理描写に囃子を入れており、「噺の内容などよくわかっていないと弾けない、様々な邦楽の知識も求められる」と、伝統芸能の難しさを語る。

1992(平成4)年に輪島高卒、関西大に進学し、寄席独特の寄席文字に興味を持ち落語研究会に入り、そこで寄席三味線を知ったという。卒業後、テレビ番組制作に携わるが結婚を機に退職、その時の縁で落語芸能事務所で働くことになり、再び寄席三味線に触れ、03年に寄席三味線の大川貴子師匠の門を叩いた。

コロナ禍前に輪島市で落語会を開き、昨年10月、金沢市の西検番事務所での落語会「上方ばなし 芝居噺篇」を企画したこともあるが、「学校寄席」は実現していない。

能登震災により輪島市内の実家が全壊した。仮設住宅暮らしの両親を心配しながら4月19日、「のと鉄道応援チャリティー落語会」(大阪・天満天神繁昌亭)や6月6日、「桂まん我ひとり会」(金沢21世紀美術館)に出演しており、「ふるさとに笑顔が広がってほしい」と前を向く。

加能人 令和6年7月号

緊急輸送指揮し能登入り

公益社団法人全日本トラック協会会長

坂本 克己 氏

 

 公益社団法人全日本トラック協会(全ト協)の坂本克己会長(85)=大阪市石川県人会長=は元日の能登半島地震を受け、全国の運輸業約6万3千社が加盟する全ト協(東京)に対策本部を設置し、「トラック輸送は、生活と経済を支えるライフライン、国や地方自治体と連携し、迅速に緊急・救援輸送に懸命に当たってほしい」と、石川県トラック協会をはじめ全国の協会を通じて国のプッシュ型緊急物資輸送を始めるよう檄を飛ばした。

坂本会長は、日本タクシー、大阪運輸倉庫、北港観光バス3社で構成する日タクホールディングス(HD、大阪市)の代表取締役会長であり、社長時代に阪神大震災を経験、熊本大震災発生の時は、二階俊博自民党総務会長(当時)から直接、携帯電話に緊急支援物資輸送の応援要請を受けたことがあった。

父親の出身地である小松市に戦時疎開した経験があり、ふるさと石川の非常時に間髪入れず立ち上がった格好。1月17日に斉藤鉄夫国土交通相らと馳浩石川県知事を訪問し物資の拠点だった県産業展示館から片道5時間半かけて被災地の穴水町の活動状況を視察した。

全ト協会長としてトラック運転手の時間外労働規制など「物流の2024年問題」への対応を迫られる中、持ち前の政治力を発揮、関連法案の成立により4月1日に施行された。「トラックGメンによる荷主対策強化、標準的な運賃の引き上げ」などが打ち出されたが、「銭形平次の十手でんな。8月から我々業界内で荷主に対し調査権を持てるようになる」と、戦記物の愛読者らしい例え。6月から8年目、迅速果敢をモットーに気構えは戦国武将のよう。

加能人 令和6年6月号

断らない・諦めない医療実践

日本医科大学消化器外科主任教授・同大付属病院副院長

吉田 寛 氏

 

 私立医大トップクラスの日本医科大消化器外科主任教授で同大付属病院の吉田寛副院長(63)=金沢市出身、東京都世田谷区=は、コロナ禍などにおいて患者のたらいまわしが社会問題になる中、「日本で一番多くの重症患者を受け入れ、院内感染は非常に少なかった」と胸を張る。〝断らない・諦めない医療〟の実践を掲げ、若手医師の指導育成に奮闘している。

母親が珠洲市宝立町出身で、元日の能登半島地震時には本人、母親とも都内にいて無事だったが、母方の実家が倒壊する被害に遭った。能登の縁からか、相撲が強かった父親の影響もあって少年の頃から相撲好き。金大附属の幼稚園から小・中・高校(30回卒)を経て1986年に日本医科大、92年に同大学院修了、外科医になってからも相撲に励んだ。

185センチの長身。「学生時代はガリガリに痩せていて相撲は強くなかったが、医者になって体格が良くなって強くなった」と言い、30歳のとき、茨城県の病院に派遣され、同県相撲大会で上位入賞し国体に出場している。現在、日本医科大相撲部の部長、東日本学生相撲連盟理事。

2016年から2年間、日本医大多摩永山病院の院長を経て18年から現職。外科医としては、肝胆脾門脈外科、肝移植、ⅠⅤR、超音波を中心とする画像診断学が専門。日本門脈圧亢進症学会理事長、日本外科系連合学会理事長、脾臓研究会代表世話人など公職多数。

「トラブルが起きた時、動揺しない対応」は様々な人生経験から会得したよう。いしかわ観光特使も引き受けており、郷土愛は強い。震災復興へ「為せば成る」とエールを送る。

加能人 令和6年5月号

能登震災でチャリティー演奏

パーカッション奏者・能美市観光大使

中山 理恵 さん

 

能美市観光大使を務める気鋭のパーカッション奏者、中山理恵さん(45)=東京都町田市在住=は能登半島地震発生から約1カ月後の2月3、4日、町田市小山ヶ丘の「ギャラリーカフェアルル。」で開かれた女性だけ6組9人が出演した緊急支援コンサートに参加。延べ約100人の聴衆から約30万円超の義援金が寄せられ、「ふるさと石川のお役に立てて良かった」と、演奏の充実感に浸った。

この会場は、金沢市出身で小学生の時に七尾市で暮らした杉浦美代子さんが運営しており、東日本大震災から毎年5月にチャリティーコンサートを開催。中山理恵さんはマリンバ奏者の三浦咲さんとコンビを組む「クラッケロ」として今年5月18、19日のアルルでの同コンサートにも出演する。

能美市出身で9歳よりピアノを始め、辰口中学の吹奏楽部に指導に来ていた打楽器奏者の講師にあこがれ、プロを目指して、音楽コースのあった小松市立高に進学、東京芸大音楽部器楽科打楽器専攻を卒業した。

在学中よりプロオーケストラ、打楽器アンサンブルや劇団四季、東宝ミュージカルなどに参加、ホテルなどでの打楽器ソロパフォーマンスも行い、パワフルで繊細な表現力には定評がある。

2018年5月に能美市観光大使に委嘱され、年1回、同大使・特使が集うイベントに参加している。プロの打楽器奏者になることに両親が反対したと苦笑いするが、「(両親が暮らす)能美市での演奏は特別な感じがして楽しみにしています。育ててくれたふるさとに少しでも恩返しをしたい」と、目を輝かす。

加能人 令和6年4月号

時代の潮目読み〝送りバント〟

アパグループ社長兼CEO

元谷一志 氏

 

 2022年4月に、国内最大規模のホテルチェーンやマンション事業などを展開するアパグループ(東京)の社長(52)は最高経営責任者(CEO)を兼務し、父親でカリスマ創業者の元谷外志雄会長(80)からバトンを受けた。「有事にあっては社会の要請に応えていく」との教えから、能登半島地震被災者の二次避難先の受け入れを馳浩知事から要請され、1ヵ月半の期間で北陸を中心に延べ4万5千室を提供することを受諾した。

コロナ禍の折、元谷会長が当時の政府関係者からの感染患者の受け入れ要請に対して即座に1万室の提供を表明したのと同様の決断であり、「平時はホテル、有事はホスピタルというハイブリッドな経営が今後求められている」との経営観を示す。小松市出身の元谷会長と福井県出身で母親の芙美子アパホテル社長の間に生まれた2人兄弟の長男。2代目として「学生時代から帝王学を学ばせられた」と明かす。

小松市で中学2年まで過ごし、中学3年時に金沢市に引っ越し、二水高から都心にある大学へとの父親の勧めで学習院大経済学部に進学、1995年3月に卒業後、「跡を継ぐ踏み絵」をした上で、住友銀行に約5年勤務し99年11月にアパホテルに常務として入社、専務などを経て2012年5月にアパグループ株式会社代表取締役社長。

「徳川家でも初代と3代目は知られていても2代目は知らない。でも2代目がちゃんとやっていたから3代目に続く。だから私は送りバントの人生、時代の潮目をとらえ、柔軟に経営して3代目にバトンを渡す」と自らの役割を明確に認識する。7年連続で100㌔ウオークを達成した健脚の持ち主。コロナ禍以降も業績を上げており、経営のペース配分もしっかり頭にあるに違いない。

加能人 令和6年3月号

「カレーパンマン」の声36年

声優・ナレーター、能美市観光大使

柳沢 三千代 さん

 

 能美市観光大使で声優、ナレーターの柳沢三千代さん=東京都世田谷区=は絵本「あんぱんまん」(やなせたかし作)を原作とした国民的人気のテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」に登場する正義の味方役「カレーパンマン」の声優を務める。日本テレビ系で1988年10月に放送開始以来、36年に及ぶロングランをこなす。

大阪府箕面市出身で、小学生の頃NHKテレビ「新日本紀行」を毎週見ることを勧め、生徒の感想文に寄り添って指導した教師にあこがれ、「少女の頃は小学校の先生になりたかった」という。高校時代はハンドボール部に所属し、〝演劇少女〟ではなかったが、タレントを数多く輩出する日本大学芸術学部演劇学科に進学。

在学中に劇作家・演出家の如月小春(故人)主宰の劇団「NOISE」に参加、「如月座長から〝三千代は声だよ〟と、声優の道へ背中を押していただいた」と述懐する。日大卒業後、青二プロダクションに所属。「カ

レーパンマン」の声優の他、現在ロードショーのアニメ『機動戦士ガンダムSEED』のエリカシモンズ役など、活躍の場を広げている。「体全体を使うより声だけで表現する方が難しい」と、声優としてさまざまに鍛錬を重ねる。

能美市観光大使は、能美市出身の俳優・語り部で夫の吉野悠我さんに準じて一昨年委嘱された。「ドリームコンサート」など同市のイベントに揃って出演し、公式キャラクター「ひぽ能ん」「ゆず美ん」の声役にもなって一役買う。

関西出身の有志による朗読劇ユニット「はんなりラヂオ」の代表も務める。長年にわたり培った声の力を生かし「能登半島地震の支援のために何かできる事はないか」と第二の故郷へ想いを募らせている。

加能人 令和6年2月号

加賀藩の良き伝統継承

前田家第19代当主

㈱イノダコーヒ社長

前田 利宜 氏

 

 前田家18代当主の前田利祐氏(87)の長男である前田氏(60)は昨年11月3日、金沢市の尾山神社と金谷神社で営まれた家督継承の奉告祭に家族揃って参列。「旧藩主がいる地域でこれほど文化芸術を皆様で盛り上げているところは全国にない。父の今までの思いに負けずお役に立てられますよう尽力したい」と19代襲名の決意を披瀝した。

利宜氏は、京都市に本社を置き、東京など全国に9店舗展開する老舗喫茶チェーン「イノダコーヒ」の代表取締役社長。「お客にゆっくり過ごしていただく独自経営」が売り、フルサービスのため従業員は200人を超すが、人手不足の折「スタッフ補充が大変」と打ち明ける。

1987年、上智大外国学部ポルトガル語学科を卒業後、三菱商事に入社、コーヒーを含む食品全般の責任者としてブラジルやサウジアラビアなど海外勤務をこなした。「帰国後、イノダコーヒの猪田浩史社長(当時)と気が合い、仙台時代に誘われて」2020年7月にイノダコーヒの社長に就いた。

三菱商事入社同期の晶子夫人ら家族は東京・駒場住まい。京都へは単身赴任中、多忙なため「月1、2回帰宅する程度」とか。前田家の金看板である「文化芸術」には理解があるが、上智大では体育会系のヨット部に所属したスポーツ系。ゴルフ、ドライブ、写真撮影が趣味。

現在、公益財団法人前田育徳会や成巽閣の評議員などの役職にあり、今後、利祐氏が抱える石川県人会など多数の公職をいかに委譲していくかが課題。「人生一代、名は末代」を座右の銘に、ヨット同様しっかり舵を握り、加賀藩時代からの良き伝統を継承していくことだろう。

加能人 令和6年新年号

 

北陸3県の会議所と連携

金沢商工会議所会頭

安宅 建樹 氏

 

 金沢商工会議所の安宅建樹会頭(73)=北國銀行相談役=は来年3月の北陸新幹線敦賀延伸に向け、「福井、富山とも20分で行けるようになる。3県の会議所が連携し、広域観光はじめ共同の商談会開催にも取り組みたい」と、年内に敦賀駅視察の折、福井の八木誠一郎、富山の庵栄伸両会頭と会談し、具体的な連携強化策を打ち出す意向を示す。

 北國銀行頭取を14年務め、経済情勢や地元企業に精通しているのが強み。会頭3期目の11月21日、金沢市内のホテルで開かれた同会議所会員大会で「物価高など会員を取り巻く環境は引き続き厳しい。取引の適正化と人材確保、育成の支援に取り組みたい」と、中小企業・小規模事業者の経営計画策定や販路開拓の後押しなどきめ細かい〝伴走支援〟の充実を図ることを表明した。

 豪商銭屋五兵衛や安宅産業創業者の安宅弥吉ら歴史に名を刻む経済人を輩出した金沢市金石地区の出身。泉丘高(21期)から1973年に金大法文学部を卒業後、北國銀行に入行。外国部ニューヨーク駐在員事務所の初代所長、企画部長、常務、専務などを経て頭取に。〝ゼロ金利政策〟など金融機関冬の時代をコンサルティング営業の強化、デジタル化支援などに取り組んだ。

 2016年11月に金沢会議所会頭に就任後もコロナ禍など厳しい経済環境が続く中、持ち前の機智と胆力で乗り切る。趣味の読書では村上春樹らの小説を愛読、最近は「サスペンスものが多い」と相好を崩す。金大学友会会長、片山津ゴルフ倶楽部理事長など公職多数。座右の銘は良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく「縁尋機妙」。人の出会いを大切にするのが真骨頂のよう。

加能人 令和5年12月号

美川漁港で漁師に挑戦

書家・水墨画家

幸才 多聞 さん

 

 書家、水墨画家の幸才多聞(こうさい・たもん)さん(46)=本名・真澄、白山市道法寺町=は、趣味の海釣りが嵩じて漁船を購入、JFいしかわ美川支部の組合員になり、今春から美川漁港を拠点に漁を始めた。「船漁はいつ座礁したり、海に投げ出されるか分からない緊張感がある。命をさらした作品を書きたかったので良い刺激になっている」と、墨の芸術家と漁師の二刀流を満喫している。

石川県水墨画協会の会員で、虎や龍など力強い作品が特徴。自宅で書道教室を開き、福祉施設などへ出張指導しており、約80人の生徒を抱える人気女流書家だ。夫はガス、ガソリン、金物店を経営する実業家で、京都にいる女子大生と男子高校生の2人の母親であり、主婦業もこなしながらアーティスト活動に励む。

金沢市久安で小学校1年生のとき、近所の習字教室に通ったが、中学、星稜高時代は剣道部に所属した体育会系女子だった。星稜短大卒業後、自動車ディーラーに就職、21歳のとき、ミス野々市じょんからに選ばれた。結婚して旧鶴来町に住み、「子ども達の書道教室に同伴するうち、書の魅力にとりつかれた」と語る。

海漁は2年前に美川漁港で漁師をする長田真典さん(44)と知り合い弟子入り。長田さんが新船購入に伴い、小型船舶操縦の免許を取得し、小型漁船「獅丸」を引き継いだ。捕獲したアカイカなどの魚は南加賀公設地方卸売市場などへ持ち込む。

本業の書家としては、金劔宮のほうらい祭りに青年団から依頼を受け、山車の上り旗に「日本一」「鬼退治」と力強くしたためた。「書きぶりではなく、何を書くかが大事」と、言語アーティストを目指す気構えだ。

加能人 令和5年11月号

金沢美術工芸大学学長・理事長

山崎 剛 氏

金沢美術工芸大の山崎剛学長・理事長(58)は10月1日に、金沢市小立野2丁目の金大工学部跡にキャンパスを移転、供用開始にこぎつけた。老朽化、手狭だった金大附属病院近くの旧キャンパスからの移転は長年の懸案で、学長就任5年目でビッグプロジェクトを果たした。

新キャンパスに正門がなく、ガラス面を多用した校舎が特徴。学生が専攻の枠を越えて利用できる「共通工房」を配置し、学生の作品を展示・合評するスペース「アートコモンズ」を9カ所に設け、市民も自由に鑑賞できるように変えた開放的なコンセプトが評価されている。

一般向けの内覧会に1千500人もの市民が訪れ、「私も驚きました。県民・市民の期待が大きく、ありがたいことです」と相好を崩す。兵庫県出身。関西学院の中高大学から同大大学院博士課程前期課程(美学専攻)を修了、大阪市立博物館の学芸員から文化庁の文化財調査官を経て金沢美大の公募に応じて03年に同大美術科芸術専攻の助教授として入った。著書に『工芸家たちの明治維新』や本阿弥光悦を解説した外書など。

「工芸やデザインが好きで、金沢にやってきた。自分で作ることはしないが、作品を解説したりするのが性に合っている。直感で学生の作品を買ったこともありました」と、気さくな語り口は関西人らしい。学生時代に甲子園でアルバイトしたこともある阪神ファンでもある。

華奢な身体つきだが、高校時代はラグビー部に所属、金沢美大でも試合に出たことも。「学長になってからケガされたら困ると周りから止められている」と明かす。ソフトな雰囲気を漂わせるが、芯が強く、指導者としてガッツがありそうだ。

加能人 令和5年10月号

華道、書道通じ自分を表現

ミセス・オブ・ザ・イヤー・ワールド2023審査員特別賞受賞

筑城 まゆみ さん

 七尾市役所の監査委員事務局主幹であるまゆみさん(52)=同市矢田町=は今年4月1日、東京のホテルニューオータニで開かれたアジア最大級の女性の祭典「ミセス・オブ・ザイヤー・ワールド2023」のプレシャス部門(44歳〜57歳)で英語のスピーチ、生け花によるパフォーマンスなどを披露し審査員特別賞を受賞した。

「ミセス〜」は人間力や発信力のあるリーダー的女性を発掘し、SDGs(国連の持続可能目標)のゴール5・地方創生を目指す目的で2020年から始まったコンテスト。華道家元池坊金沢支部の正教授、石川県書道協会会員の筑城さんは「30年続ける生け花や書道を通じて、日本の伝統文化を世界の方に広めたい」と応募、昨年8月の北陸大会、日本大会を経て13カ国、68名が出場した世界大会に挑んだ。

旧県立七尾商高卒後、日立製作所横浜工場で役員秘書を2年経たのち、金沢の専門学校に入り、秘書検定1級や宅地建物取引士などの資格を取得。22歳で七尾市職員となり、税務、保険年金、企画経営課など全般を歴任した。

「世界大会では舞台に七尾の花嫁のれんを飾り、生け花では、五葉松、ユリ、金柳のほか石川の花エアリーフローラも用いて日本の『和と美』を表現しました。国籍、年齢を超えて、色んな方々と出会い、たくさんの気づきを頂き、生涯の思い出になりました」と語る。

男子大学生2人の母親だが、「愛と感謝にあふれたカッコいい女性になる」ことがゴールのようだ。

加能人 令和5年9月号

大事件取材の経験伝える

近畿大学総合社会学部教授 二木一夫 氏

近畿大総合社会学部社会・マスメディア系専攻の二木(ふたぎ)一夫教授(60)=小松市出身、兵庫県西宮市=は、毎日新聞記者時代に朝日新聞阪神支局襲撃事件(1987年)、オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)、JR福知山脱線事故(2005年)など、戦後日本の歴史的大事件を取材する機会に恵まれた。その貴重な経験を生かし、報道記者を志す学生の指導に汗をかいている。

「新聞記者、論説委員も含め33年間、大事件についていたというか、恵まれたと思います」。1985年に小松高から金沢大法学部卒後、毎日新聞社に入社、阪神支局が駆け出しだったが、一緒に警察回りを担当していた朝日新聞の小尻知博記者(当時29)が殺害された。

大阪社会部から東京社会部に異動し警視庁を担当、1995年1月に阪神・淡路大震災が発生、神戸へ1週間応援に出かける。2カ月後に地下鉄サリン事件が発生、まだオウムの犯行だと分からず、サリンの怖さも認知されていない頃、霞が関の警視庁記者クラブで泊まり明けから地下鉄霞ケ関の駅に突入、サリンを吸う羽目に。警察病院で治療を受け、その日夜には職場に復帰する。

神戸支局長時代には、阪神・淡路大震災で後遺症を負った人々を巡る「震災障害者」問題キャンペーン報道で、第18回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞を受賞する。論説副委員長の時、55歳で近畿大教授に就任。「現場からの新聞論」「日本語文章力養成」などの講座を受け持つ。

「紙媒体が衰退してもニュースを報道する記者は必要。全国に教え子がいるようにしたい」と、コロナ禍を乗り越え〝記者魂〟の伝授へ全力投球の構え。

加能人 令和5年8月号

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